幸せになろうよ
フロアを抜けると、屋外に作られたイルカショーの会場に出た。ショー開始前で、観客席には人が埋まりつつあった。前方のほうに空いた席を見つけた風丸はそちらへ向かおうとしたが、それを綱海が制した。
「こっちこっち」
手を招く綱海を不思議に思いつつ、風丸は後をついて行く。たどり着いたのは、観客席最後尾の端の席だった。周りにはまだほとんど人がいなかった。
「ここでいいのか? ショーが見にくいだろ?」
「いいから、いいから」
風丸の提案に構うことなく、綱海は席に陣取った。風丸は腑に落ちなかったが、これ以上こだわる理由が見つからなかったので、黙って綱海の隣に座った。
会場に音楽が流れ始め、アナウンスと観客の拍手とともにショーが始まった。
すると突然、綱海が風丸の左手を自分の右手で重ねるように手をつないだ。風丸は驚いて思わず手をはらおうとしたが、綱海の手はそれ以上の力でそれを阻止した。
「綱海、離せよ」
風丸は小声で綱海に訴えた。しかし、綱海はいたずら好きのする笑みを浮かべるだけだった。
「大丈夫だって。誰にも見えねぇし。てか、皆イルカ見てるから気づかれねぇって」
「それはそうだけど……」
それでも誰かに見られたらと思うと、風丸は気が気でなかった。しかし綱海は気にせずイルカショーを見はじめるので、風丸はしぶしぶ観念した。
(誰にも見られませんように……!)
ところが綱海の言うとおり、観客は皆、前方のイルカショーに夢中で、後ろの自分たちを振り向く者も気にする者もいなかった。
水面から三匹のイルカが飛びだして空中の輪をいっせいにくぐると、観客と隣の綱海から歓声があがった。人を背に乗せたままイルカが水面をすべるように泳ぐと、会場は拍手で包まれ、隣の綱海が「オレもあれやってみてー!」とはしゃぐ。けれども、風丸の意識は目の前のイルカショーにはなかった。
(綱海の手、あったかいな)
体温の高い綱海の手は、逆に手が冷たい風丸にはいつだって心地良かった。そして、自分よりもひと回り大きな綱海の手が本当はすこし悔しかった。
そんな綱海の手に触れていると、不思議と心が落ち着くことに気づいたのはいつだったろうか。綱海の口癖でもある「海の広さに比べれば、ちっぽけな話さ!」が、つながった手から伝わってくるのか、不安な心が消え去って、安心してしまうのだ。この手を離さなければ、なにがあっても大丈夫だと思えてしまうような。
(せっかく、決心したのにな)
この手を離すと決めたのに、離したくないと心が叫んでいた。綱海の手の温度と自分の手の温度が混ざって境界線がわからないくらい溶けあって、決意が揺らぎそうになる。
(……けれども、やっぱり)
綱海の手がつなぐものは自分の手ではない。風丸は自分の心に蓋をした。
(これが、最後だ)
そっと、風丸は綱海の手を握り返した。綱海がこちらを見やるのがわかったが、風丸は気づかないふりをした。