Private
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トレミーの展望スペースにいた刹那は、このところ無意識にしてしまう溜息を、このときもついていた。
「はぁ……」
やはりどうしても気になる。いっそ借りを返してすっきりさせたいが、それをすれば刹那がソレスタルビーイングの関係者だとばれてしまう。それは絶対に嫌だった。そんなことがばれてしまったら、あとはもう敵対するしかないではないか。借りを返したいだけなのに、敵対関係になって帰ってくるなんておかしな話だ。
だから、心の中で感謝して終わりにすればいい。それがもっともいい方法だと理解しているのに、会いたくてたまらなくなっている心が、本当に不思議だった。
「はぁ……」
そうやって今日も溜息の数が増えていく。
会いたい、でもそれはできない。思い悩む心の内が、いつの間にか「借りを返したい」から「会いたい」へと変化していたことに、刹那は気づかないでいた。
「どうしたんだい? 刹那。溜息なんかついて」
かけられた声に振り返れば、ガンダムマイスターの一人、アレルヤ・ハプティズムがゆっくりと近付いてくるところだった。
「アレルヤ……。溜息なんかついていたか?」
自覚のなかった刹那は、いつも穏やかなアレルヤに気を許して聞き返していた。具体的には語れないけれど、何か間接的なアドバイスでももらえないかと思ったのだ。
「無意識なんだね。このところ、よく君の溜息を聞くから、何か悩みでもあるのかなって、気になってたんだよ」
「悩み……」
刹那は、どう話したらいいかを考える。ソレスタルビーイングの守秘義務に、相手は敵対するユニオン軍の軍人。ごまかすにしても、どこをどう改ざんすればいいのだろうか。
「……実は、礼を言いたい相手がいるんだが」
「うん。……言い難い相手なのかい?」
「いや、それをすると守秘義務に違反するかもしれないんだ」
アレルヤは驚いたように息を飲んだ。
「ああ、なるほど。それで言えないでいるんだ」
「何かいいアイデアはないか?」
「うーん……、そうだね、直接言えないなら、何か贈り物でもしてみたら? 手紙とかでもいいし……」
「手紙、か……」
それはいい考えかもしれない。どうせもう会うこともないだろうから、自分の正体を白状したうえで礼を言っても問題はないだろう。彼が地球上のどこを探したとしても、刹那を見つけることはほぼ不可能であるがゆえに。
刹那はさっそく実行に移そうと思った。
ありがとう、とアレルヤに礼を言おうとした、その動きが止まる。
「ハハハハ、面白れぇことになってんじゃん」
「……アレルヤ?」
「違う、俺はハレルヤ様だ!」
顔つきも口調もガラリと変わった仲間に、刹那は呆気に取られてしまった。滅多なことで驚かない刹那をここまで戸惑わせるのは、なかなかできることじゃない。
「……ハレルヤ、さま?」
「そうだぜ、おチビちゃん。話は聞かせてもらった。手紙を送るなんて、生っちょろいことぬかしてんじゃねぇよ」
「そう言ったのはお前だ」
刹那が負けずに言い返すと、アレルヤ(?)の唇の端が、楽しそうにつりあがった。
「アレルヤの考えそうなことだよな。アイツも甘っちょろくできてんだ」
同じ身体を共有しながらも、どうやらアレルヤとハレルヤは別人格であるらしい。そういう人間がいることは話に聞いていたけれど、実際に目の当たりにしたのは始めてだった。
「ハレルヤの考えは違うのか?」
刹那は特に疑問に思わずハレルヤの存在を受け入れると、相手はまた一段と楽しそうに笑ってみせた。
「いいかい、おチビちゃん。俺の考えというよりはそっちの問題だぜ。要するに、だ。会いたいんだろう? 守秘義務を犯してまでもその相手とやらによ!」
「……っ!」
ビシっと人差し指を突き刺されて、刹那は返す言葉に詰まった。そのとおりなのだ。会いたくて、でも会えなくて、刹那はそれを悩んでいたのだった。
「だが、会うわけには……」
会って礼を言えば、その瞬間から彼とは敵同士だ。互いに銃を取り合って、銃口の先を突きつけあうことしかできなくなる。
「面倒くせぇなぁ」
チッチッと、立てた人差し指を左右に振り、擬音も口にしてハレルヤが言う。アレルヤと違い、彼はだいぶ芝居がかった振る舞いがお好みらしい。
「躊躇っている暇があったら、行動に移すのみだぜ。ミッションが始まったら会うこともできねぇし、手紙すら書く余裕もなくなるだろうよ。そうさ、それこそ手紙が届く頃には、もうソイツは死んでいるかもしれねぇしな!」
ハハハ、と高笑いするハレルヤの言葉は、刹那を追い詰めるのに十分だった。
そうだ、彼は軍人なのだ。アザディスタンにいたということは、彼もモビルスーツに乗って戦う兵士なのだろう。ひょっとしたらこの先、互いに知らないうちに対峙して、刹那が彼の命を奪ってしまう可能性だってある。そのあとで礼を記した手紙が届くなんて、まったく笑えない冗談だ。
「……、少し外す!」
「はいな〜、なんだったら強引に押し倒して、既成事実を作っちまうのも手だなぁ!」
無責任なことを言って「いってらっしゃい」と手を振るハレルヤの姿を、駆け出した刹那が見ることはなかった。
ハレルヤの中のアレルヤが「なに言ってんだ!」とさんざん頭の中で喚いていたことなんて、さらに知る由もなかった。