Private
*
ユニオン領の中心地であるアメリカ合衆国を訪れるのは、これが初めてだった。ミッションで上空を飛んだことはあっても、大地に降り立ったことはない。
光学迷彩を施してガンダムを荒野に隠すと、刹那はMSWADの宿舎を目指した。居住区の中へ入っていく車の荷台に隠れて侵入を果たし、あらかじめ調べておいた住所を探す。こんなことばかり長けていく自分にうんざりするが、今はなりふり構っている場合ではなかった。
「5‐6……」
番地を確認しながら、目的地までの最短距離を選んで進む。グラハム・エーカーの宿舎までは、あとわずかだ。
「あった、あれだ」
同じ形の家が立ち並ぶ一角のうちの一つ。平屋建ての窓には明かりが灯っていた。どうやら在宅のようで刹那もホッとする。
そっと、暗い窓を開けて中に入る。小さな窓には鍵が掛っていなかった。忍び込む身分でありながら、刹那は相手の無用心さに少し呆れる。それとも彼には侵入者を返り討ちにする自信があるのだろうか。だとしたらこちらも気をつけなければと、刹那は警戒レベルを引き上げた。
抜き足、差し足、忍び足。元ゲリラの少年にとっては造作もないことだ。そろそろと廊下を歩いて、刹那はグラハムを探した。明かりのついていた部屋、あそこにいる可能性が高いだろう。
しかし、その途中のことだった。
「誰かいるのか?」
咄嗟に廊下の角へ身を隠せたけれど、刹那は確かに驚いていた。尋常じゃない感知能力の高さだ。アザディスタンでもそれは分かっていたけれど、もはや野生の獣レベルといってもいい。
「気のせいか……」
その呟きと共に、刹那は迷わず飛び出した。警戒を解いて気を抜いた隙を逃さず走り寄ると、見覚えのある容姿を持つ男が、いささか驚いたように目を瞠っていた。
「……君、は……、あうっ!」
風呂上りだったのか、バスローブ一枚の姿に、首からはタオルをかけていた。その身体が前のめりに倒れこむ。刹那の拳がみぞおちにヒットしたのだ。
「……ちょろい」
最高の感知能力がなんの役にも立っていないことに、刹那はまた呆れた。
気絶した身体を肩にかついだ拍子に、シャンプーか何かのミント系の香りが漂う。明かりのついていた部屋は彼の寝室のようだ。ベッドと、ごくわずかな私物が片隅に置かれてある。
意識のない身体はさすがに少し重たくて、刹那はやや乱暴にベッドの上へと転がした。
ゴロンと横になった無防備な姿を見て、そのときにようやく、冷静な状況判断ができるようになった。
──俺は何をやっているんだ、と。
ハレルヤに指摘されたときは、それしかないと思い込んでしまったが、この状況では結局なんの解決にもなっていないのだ。
借りを返すことも礼を言うこともできない。正体を打ち明けたら最後、殺しあう運命だ。もう一つの理由である「会いたい」にしたって、夜中に忍び込み、気絶させてベッドの上では、完全に性犯罪者の行動と同じではないか。
言い訳も何もできない状態に追い込まれていることに気づき、このまま退散することも、じゃあいっそ既成事実を作ってしまおうかという気分にもなれずに、刹那はベッドの上で身動きできないでいた。
*
「……ん、ん……」
モゾモゾと上体が動き、気絶していた身体が目覚めモードに入った。直前までどうしようと悩んでいた刹那は、彼が目覚めるのを静かに待つことにした。逃げるという楽な選択肢は、どうあっても選ぶことができなかったのだ。
ハレルヤに煽られてこうなったけれど、彼が言ったこと自体は間違いではない。この先がどうなろうとも、とにかく顔を見て話をしておきたかった。
薄っすらと、緑色の瞳に光が灯っていく。眩しそうに一度目を閉じてから、ゆっくりとまた瞼が開いていった。
ぼんやりした瞳が壁を見て、天井へと向かう途中で刹那に気づいた。パチリと、大きな瞳が瞬く。しばらく刹那を見つめたあとで、彼は軽く両手をあげた。
「あー……、殺さないで、ください?」
「……そんなことはしない」
「ほう?」
ホールドアップした手を下げて、グラハム・エーカーは不思議そうに首をかしげている。
「君に襲われた瞬間、私はもう二度と目覚めることはないと覚悟したのだがなぁ」
「殺すつもりなんて、まったくなかった」
この状況を客観的に見れば、刹那のほうが優位に立っているように見えるだろうけど、精神的な面での余裕は、恐らく彼のほうが上だ。早鐘を打つ鼓動が、うるさいくらい体内で響いている。
「ふむ、では君は何をしにきたのかね?」
当たり前の訪問理由を尋ねられ、刹那はいよいよ困った。嘘を言うにしても何を言えばいいのか、皆目見当がつかないのだ。いつも適当に口をついて出るでまかせも鳴りを潜め、仕方がないので本当のことを話すことにした。
「アンタに、礼が言いたかったんだ」
「礼? なんの?」
心当たりがないからか、グラハムはきょとんとしている。
「……アザディスタンの内乱を、最小限に止めてくれた……」
恐る恐るといった具合に小声で話したそれに、グラハムはしばらく無言で、けれど徐々に眉間の皺を深くしていった。
「それならば、礼を言う相手を間違えているぞ。私たちにではなく、ソレスタルビーイングに言いたまえ。ユニオン軍は君たちの国の内乱を治めたわけじゃない」
ベッドに横たわりながら軽く肩を竦めるという器用な仕草を見せ、グラハムは不平たっぷりに呟いた。彼らからしたら、手柄をすべて横取りされたのと同じなのだ。
「……だが、保守派の暴走を食い止めてくれたのだろう? そう聞いた」
それは直接見聞きした情報だったが、あくまでも一般人を装う必要のある刹那は、そういう言い方をするしかなかった。