Private
「……いいのか?」
確認するように聞いたら、グラハムの唇が綻んだ。
「不法侵入者が、今更何を気にするんだね?」
クスクスと笑い、さらに言葉を続ける。
「犯罪者らしく、君の好きなことをしても構わんぞ」
「好きなこと……」
まな板ではなく、ベッドの上の鯉となったグラハムは、言葉どおりに刹那の前でその身をさらしている。
もともと、特に何をと考えているわけではなかった。会いたい気持ちだけが先行して飛び込み、今だってグラハムがリードしてくれているから、刹那はただそれに従っているだけなのだ。
好きなこととは、イコールしたいことだろうか。それはいったいなんだろうと考えながら、刹那の指はまた頬の上へと伸びた。何か行動を起こしているうちに気づくかもしれない。そう思い、頬に伸びた指を目じりやこめかみへと移動させ、耳や後ろの髪の毛をなでてみる。
刹那の指の動きがくすぐったいのか、グラハムは少し首をすくめて笑った。
「君は可愛いな」
「なんだ、それは」
「そのままの意味だよ、容姿もかわいら……っ」
減らない口を塞いでやるため、刹那は身体を倒してグラハムの唇に口付けていた。咄嗟の行動に驚くよりも本能が勝って、もっと、もっとと重なり合う唇に力がこもる。
「ん、……ふ、ぅ……」
その行為は不思議なほどしっくりときて、疑問に思うこともなかった。キスに対する不快感も、グラハムとこうしていることに対しても──。
会いたいとは、こういうことだったのだ。目の前にかかっていた雲がパァっと晴れて、視界が明るくなった気がする。分からなくて当然だった。刹那は今まで誰かに恋愛感情や、それに似た好意を抱いたことがなかったのだから。
指先がバスローブの襟にかかったところで、ふと、組み敷いている身体を見つめた。この下はすぐ地肌で、いってみればここが最後の防波堤なのだ。先へと進むか、それとも引き返すか、葛藤する。
「君の好きにしていいと、言ったはずだぞ?」
グラハムはすでに、まな板の上で調理されることを待っているかのように無抵抗だ。
「何故だ?」
どうして黙って受け入れられるのか。刹那は疑問に思ったことを口にした。
「君の気持ちは確認済みだからだよ。だったら、あとは私次第だろう」
濃いグリーンの誘うような眼差しに射抜かれて、止めていた行為を思わず再開したくなる。踏み出してしまえばもう、途中でやめることなどできないだろう。本当にこれでいいのかと、刹那の頭の中は慎重だった。
「まだ何か気がかりが……、ああ、ひょっとして君の神様は、こういう行為を許していないのかね?」
タブーに触れることを恐れているのかと、グラハムは聞いてきた。その際に、彼の両方の掌が刹那の頬を包み込むように添えられてきて、モビルスーツ乗りだと分かるマメだらけの掌の感触に、どこか胸が締め付けられる心地がした。
この掌を繋ぎあって、身体も合わせてしまったら、きっと、もう、引き返せない。グラハムとは戦えなくなる。ましてや、命を奪うなんてことは──。
「刹那?」
「──っ、なんでもない、悪い」
気遣うような、それは優しさも感じる声で、刹那は思わず謝っていた。下敷きにしている身体が、かすかな笑い声と共に揺れる。
「なんだか、無理強いをしているようだな。そんな気はないから、したくないなら……」
「違う、そうじゃない。したくないわけじゃないんだ……」
「なら、やはり神様には逆らえないのか?」
今度も刹那は首を横に振った。
「俺は、神を信じていない」
きっぱりと告げた言葉に、グラハムはかなり驚いていた。
「そうなのか。それは珍しいんじゃないか? 君の国はとても信心深いように感じたが」
あの内乱に直接関わったグラハムだからこそ、肌で感じるものがあったのだろう。神の名を叫び、神のために戦い、神のために命を落とすことも厭わない。かつては刹那もその一人だった。
「……神はこの世界のどこにもいないってことを、俺は分かっている。でも、信仰すること自体はやめていない」
「ほう。興味深いな。では、刹那が信じる神とはなんだ?」
「神は『救い』だ。救いを与えてくれるものが、俺にとっての神だ」
刹那は頬に添えられてあったグラハムの手を取って握り返した。抽象的なものではなく、現実に存在し、確かな救いを人々にもたらすそれを。
あの日絶望の果てに見た、青い光。
それが、刹那の神となった。だから、今度は自分があの光になって、人々を救うのだと誓った。
──しかし、現実は刹那の望むとおりにはなっていない。
「……ふむ、とても哲学的だなぁ。君は私なんかよりよほど大人びているよ」
クスクスと、グラハムはやや苦笑気味に笑っている。握りこむ指先がじんわりと温かい。血が通っている証に、刹那は少しホッとする。銃と操縦桿の冷たさが当たり前になりつつあったから、熱を感じるものが心地よかった。
「そういうアンタはどうなんだ? 神を信じているのか?」
「私か? あいにく、そういう心はないなぁ」
「まったく?」
「ないな。私は私を信じているから、神にはすがらないのだよ」
そう言い放った男の顔を、刹那はじっと見つめた。あの動物的な勘の鋭さなどは、こういう部分から生まれているのかもしれない。刹那はそれらを訓練で身につけたけれど、グラハムは生きていくうちに自然と備わっていったのだろう。
「アンタには心を許せるものがあるのか?」
言ったあとで、しまったと思った。表情と色を失くしたグラハムの顔が、そこにあったからだ。失敗に焦りを覚えていると、グラハムは眉を下げ、困ったような表情でかすかに笑ってみせた。
「あるよ、ちゃんと。……とても少ないけれどね」
何故だろう。彼は、刹那の意識を惹き付けてやまない。ギュッと、握る指に力を込めた。首を伸ばして頬の上にキスを落とし、確認するように見つめあったあとで、今度は唇同士を合わせる。
「してもいいか?」
「……構わないと言った」
ガンダムと出会ってから初めて、刹那は自分の意思のほうを優先させた。
ソレスタルビーイングも、ミッションも、守秘義務も、自らが神となる意志も、ガンダムマイスターとしての任務も、それらすべてを忘れてグラハムと抱き合いたかった。血が通うこの身体でしかできないことを、したいと思ったのだ。
人肌がくれる温もりがどんなものであったか、遠い昔においてきたものを思い出して、それをグラハムにも分け与えてあげたくなった。というよりは、二人で分かち合いたかったのかもしれない。
『神』はどこにもいないけれど、神の代わりとなるものはどこにでも存在しているのだと、信仰心を持たない彼に、それを教えてあげたかったのだ。