Ecarlate
#trios
いつの世でも身内の突込みほど容赦のないものはない。
「それでそれがどうしたの」
恐ろしく気のない様子で投げられたその弟の台詞に、エドワードは膝から脱力してしまいそうになったものである。
「…お、おま、おまえなぁあ」
「なに」
アルフォンスは、ふぅ、と溜息をついて開いていた本を閉じた。そして、渋々といった雰囲気で兄を振り返る。
「あのね、兄さん?」
「なんだよ」
「…中佐には、秘密にしろって言われたんでしょう。なんでボクに言うかな」
「オレにばれたらアルにもばれる。アルは誰にも言わないから秘密保持は成立。ほら問題ないじゃないか」
「……なんかそれ納得いかないな…」
はぁ、とアルフォンスはもう一度溜息をついた。
「―――で。兄さんはなんだってそんなにその…怪人?が気になるんだよ」
かなり諦めの入った弟の、どこか投げやりな態度にもかまわず、エドワードは目を輝かせた。そして、よくぞ聞いてくれましたとばかり、勢い込んで身を乗り出したのである。
「それがさ、アル、聞いて驚け?」
「わぁビックリ!」
「…おまえ兄ちゃんいじめて楽しいか…?」
じとっと上目遣いに見据える兄に、アルフォンスは可愛らしく小首を傾げて見せた。
「楽しいか楽しくないかと言えば楽しいね」
「……うおおおアルフォンスは素直ないい子だったのにいつから…いつから…っ」
「はいはい…。で、だから、なんなの?」
「そう、そうなんだよアル!エカルラートはな、俺達にも無関係じゃないんだよ!」
悶絶からあっさり立ち直ると、エドワードは目を輝かせて慌しく説明を始めたのである…。
ヒューズににべもなく禁じられた後、当然エドワードは納得が行かなかった。
だが、あそこまで真剣に禁じてきた以上、きっと立ち入るべきではないのだろうとも理解できた。
そこで少年は、とにかく、人を頼らず自力でエカルラートの情報を集め、正体を暴いて、ロイやヒューズに真実を語らせようと心に決めた。
…深層心理をもしも探るのなら、子ども扱いされて蚊帳の外に放り出されたのが面白くなかったわけだが、自分のことは誰しもよくわからないものだ。
図書館で調べられそうなことはあらかた調べていたし、軍の資料室を漁れば簡単に足が着くだろう。そこでエドワードは考えた。
結果として彼が足を向けたのは、新聞社だった。
立地から手っ取り早く選んだのは、イーストシティに本社を置く、そこそこの部数を誇る都市新聞の出版社だった。
何のかんの言ったところで有名人のエドワードなので、新聞社を尋ねれば、何も言わないうちから編集長が擦り寄ってきて、来社の理由を尋ねてきたものである。無論、何割かは、国家錬金術師の突然の訪問というありうべからざるシチュエーションを警戒して物であろうが。
編集長にエカルラートについて調べていると告げると、彼は意外そうな顔をした。そこでエドワードは一計を案じた―――というほどでもなく、軍の事情もあるが、内密に調査中であると告げ、ここで自分の役に立てば、出版社のことは上によく伝えておこうと匂わせた。逆に言えば、協力しなければまずいことになるぞと脅したわけだ。
思想に疑いありとみなされれば、出版業務に携わることなど出来なくなる。
当然、新聞社は総力を挙げて、だがあくまで内密に、エカルラートについて集められた資料を提供してくれた。
ごゆっくり、とお茶と資料と会議室を用意して去っていく従業員ににっこり手を振りながら、何の因果かやくざな稼業に身をやつしてしまった我が身に複雑な思いを抱いた。
ただし、ほんの少しだけ。
そうしてエドワードはより詳細な事件記録を得ることになる。当時の市民感情まで含めて。
「…ふーん…」
ぱらりぱらりと資料を繰りながら、エドワードは必要な情報とそうでない情報を頭の中で選別していく。
エカルラートが逃亡の際、あるいは実際の事件現場において行ったとされる「技」は、確かによくよく資料を読めば、錬金術と決め付けてしまうのも躊躇われる部分があった。
なんというか…あまりにも、型がないのだ。
錬金術であれば、何か得意な錬成…ではなくとも、術士特有の癖のようなものが必ず出てくるはずだ。タイミングや手段、効果の傾向…どこかには、必ず。
だがエカルラートの為した技には癖がなかった。方向性に統一がないのだ。強いて言うなら、何か実験的なものは感じるが…。
だが、だからといって魔法などという子供だましを信じるエドワードでもない。
機械鎧を作る技術を応用できないかとも思ったが、それにしては装置と思しき物の姿が見当たらない。だから恐らくそれも違うのだろう。
エドワードのような実際の体の線に近い機械鎧を身に着けているものは、実はそう多くもないから(そういう意味では、彼は幼馴染を優秀な技師だとしっかり認識していた)、もしもエカルラートの体の一部が機械鎧であったとしたら、すぐにわかっただろう。ましてその当時は今よりも技術が劣っていたはずなのだから。
そういった方面の決定はとりあえず先送りにして、エドワードの意識に引っかかったのは、ごく短い期間であったが、とある新聞社がエカルラートに依頼を出そうと公募を募ったことがあったという記事だった。これは当然当局の査察を受け、すぐに撤回されたらしいが、新聞社には全国各地から手紙が寄せられたのだという。そして、その一部は確かにエカルラートの手に渡されたのだと―――。
ささやかな民衆の反抗という奴だろう。当局―――軍部は、さぞかし面白くなかったに違いない。
事件の記録も、また、エドワードが地方の図書館で流し見たときより格段に詳細に鳴っていた。
最初の事件は、夫を亡くしたばかりの未亡人が、その上官(夫は軍人だったらしい)に強引に迫られていたのを救い出した、というものだった。上官の屋敷に強引に連れて行かれたその未亡人を、エカルラートは見事に攫い出し、何処へかと逃がしてしまった。
またその騒ぎによって、その上官の不祥事が明らかになり、懲戒免職になったという。クビなんかじゃぬるいんじゃないか、とエドワードは思わないでもなかった。その男のしたことこそ、第一誘拐ではないかと。
だがエカルラートも派手にその男の屋敷を破壊し、女性は頂いていくとメッセージを残していったとかで、そういうことになったらしい。
―――そしてこの事件を皮切りに、怪人の犯行は重ねられていったのだ。
「…ん、…んっ?!」
彼が関わった最後の事件まで読み進んだとき、思わず少年は椅子を立った。そして呆然とその資料を持ち上げ、絶句して凝視する。
…彼が関わった最後の事件は、未遂で終わっていた。
件の、とある新聞社が公募した依頼書に従ってある女性を「誘拐」したエカルラートは、なぜか、その女性を元々いた環境へ帰し、その依頼を破棄してしまった。
そしてそれから、ぱったりと姿を消してしまったのだ。
…いずれ何事かがその女性との間か、もしくは依頼人との間であったのだろうが、そんなことが気にかかってそこまで驚いたわけではなかった。
驚いたのは、その「女性」がエドワードにとってとても身近な人物…と同じ名前だったからなのだ。