Ecarlate
#quatre
三人寄れば文殊の知恵―――by極東の名も知れぬ賢人。
「…モンジュって何ですか?」
とくとくと口にした糸目の准尉に、アルフォンスは小首を傾げて質問した。それには慌てず騒がず、彼は正確な答え、彼がもて得る全ての知識を総動員した回答を与えようと口を開いた。
開いた、のだが。
「なんか神様の名前だってオレは前聞いた気がする。そんなことより准尉、こっちこっち」
…語るより先に彼は台詞を奪われた。彼よりも口の達者なちびっこ(ただし上官格)に。
「へー、神様なんだ、モンジュ様?」
勉強の神様か何かなのかなあ、とさらっとアルフォンスにも流され、心なし寂しげにファルマンは俯いた。
そしてぽつりと、聞く者とてない言葉を零す。
「…文殊菩薩は仏教という東洋の教えにおいて智慧を司る菩薩であり菩薩とは同じ教えの世界において悟りを開いて仏を目指す高位の…」
「准尉?呪文ですか?」
「……………。いえ…ひとりごとです」
そうですか、とにっこり笑顔(を連想させる声)で言って流してくれたアルフォンスに、ファルマンはひきつった愛想笑いを浮かべた。
それでも彼はひとつだけ訂正したかったので、めげずに口を開いた。
「菩薩は神ではありません…」
が、鋼の兄弟はあっさり無視した。
ファルマンには悪いが彼等兄弟にとってはかなりどうでもよかったのと、単に、彼等がよく知るファルマンの周囲の人々からして、彼の薀蓄話は途中でぶった切っているのを知っていたからだった。
けしてファルマンが嫌いなわけでは、ない。
―――まあそんな軽いジャブを交えつつ。
兄弟がその時ファルマン准尉とその地方の私設図書館でかち合ったのは、本当に偶然の産物だった。
兄弟、というか、結局は兄に付き合う形になっているアルフォンスとそれを引っ張るエドワードは、未だに懲りもせずエカルラートについて調べていた。
既に、最初に新聞で目にしてからは十日、ヒューズ達の会話を聞いてからは四日が経過していた。
最初こそ「別に放っておけば」と言っていたアルフォンスだが、夢中になると他のことに目が行かなくなる兄の難儀な性格について、彼ほど正確に把握している者は多分この世にいない。
そうであればとっとと調べるだけ調べて満足行くまで調べさせて、すっきりさせてしまうに限る。
―――アルフォンスはそう判断した。
なんだか…エドワードの扱いが結構ひどいものにも思える感想である。だがまあ、彼を知る者であれば、「ああ…」と微妙な表情で頷きそうな内容でもある。
そんなわけで、兄とともに彼もまたエカルラートについて調べ始めた。ただ、彼は兄とは着眼点が微妙に異なっていたけれども…。
彼が最も興味を持ったのは、ヒューズがなぜ、何を隠そうとしているのか、そして「必要だ」と言ったというがなぜ必要なのか―――そこだった。エドワードの話を信じるのなら、渋るロイにヒューズが「エカルラートが必要だ」と言ったのだという。そこだけから判断するのなら、ロイがエカルラートかもしくは、彼の怪人はロイの管轄にある誰か、ということになるだろう。しかしロイは否定したという(信じる材料は何一つないが)。そして、ヒューズは忘れろと言った…。
一応彼等にばれるのを警戒してとりあえずは新聞社の資料に的を絞っていたふたりだが、その当の新聞社で、ちょっとした情報を小耳に挟んだのは本当に幸運だったといえよう。
―――その情報に、曰く。
中央の管区の端に、特に事件記録に的を絞って資料を収集している小さな私設図書館がある、と。
コレクターの趣味の館ではないのかとエドワードは思ったが、聞けば、その資料の質はかなり高く、長期間に渡る特集記事などを組む時はそこへ出向いて資料を探すこともあるのだという。
それならばと出向いた兄弟は、そこで、何と知り合いに遭遇してしまったのである。
それが東方司令部のミスター・エンサイクロペディア、ヴァトー・ファルマン准尉だったというわけだ。
さてファルマンがなぜそこにいたかといえば、…何のことはない、要するに彼が飽くなき知的探求心にたいへん正直な人物だったというだけの話である。私服であることが、彼が休日を知的欲求の解消に捧げたという事実を端的に示していた。
こうなってしまえば変に隠すのもおかしいし、口止めされた時の様子を考えれば、ロイやヒューズが「エカルラート」のことを隠したがっているとファルマンまで知っているとは思えなかった。大体、エカルラートが出没していた時、ファルマンは彼等とは知己ではなかったはずだ。あのふたりはどうだかわからないが…。
「たまたま昔の新聞で読んで気になったから」エカルラートについて調べているのだといえば、ああなるほど、と頷くファルマンに、何か勘付いたようなところはない。
エドワードから見てさえ嘘のつけない男なので、本当にロイと怪人に某かの関係があるのだとは知らないのだろう。
この人はいい人だなあ、としみじみ思いながら、兄弟は、うまくぼかしてエカルラートについて何か知らないかと尋ねたものだ。
するとこの百科辞典氏は、それならばと彼等をある一角へと引っ張っていった。どうやら、彼もその名前自体には聞き覚えがあったらしい。
「…しかし懐かしい。その名前をこんな所で聞くとは」
「…エカルラート?」
そう、と糸目の准尉は頷いた。
意外な気持ちで、エドワードはそんな彼を見上げる。知識が豊富というか、知識に溺れるのが好きな人だという…、どちらかといえばインドアで大人しいタイプの人かと思っていたが、考えてみたらそれだけの人物が軍人の道を選びはすまい。ましてあのロイ・マスタングが手元に置くはずもない。
エドワードは、まるで初めて彼を見るような気持ちで、彼が次に何を言うかを待つ。
「当時の少年少女にとって、彼はヒーローだったから」
普段より幾分やわらかい口調に、エドワードはまたも意外な気持ちになる。
「准尉の口からヒーローって、なんか意外…」
「それはひどい。私だって生まれた時からこうだったわけでは、」
頭でっかちな赤ん坊を想像してしまって(エドワードに人のことは言えない)、少年は思わず噴き出す。ついつい、今のファルマンの顔のままの赤ん坊を思い浮かべてしまった。怖いというかおかしいというか。
「ご、ごめんごめん、…そうだよな、准尉だって、チビの頃があったよな!」
「……ええ、まあ」
生まれた時から一応背だけは高かったファルマンは、曖昧に濁して苦笑いを浮かべる。自分は元から背が高いから、とエドワードに言えるほど彼は無神経ではなかったし、また命知らずでもなかった。
「でもさ、それって憧れてたってこと?」
どうしても今のファルマンからそういう様子は読み取れなくて、エドワードは小首を傾げる。すると、准尉は穏やかに笑った。
「…エドワード君には、いませんでしたか?ヒーローは」
「…ヒーロー、かあ…」
どうかな、とエドワードは考えた。子供向けの絵本や何かにそういった対象はあったのかもしれないが、エドワードは基本的に、「他人」にはあまり夢中にならない子供だった。
「実は、当時噂があって」
「…噂?なに?」