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Sherlock小ネタ2

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 寒い冬の日だった。僕が仕事から帰って来るなり、
「君の手を見せてくれ」
 シャーロックは目の前に立ちはだかってそう言った。これがまた結構な迫力なのだ。僕は思わずポケットに突っ込んでいた手を出し、表と裏とを自分で見てから、「血も何もついてない、ただの手だぞ。君には情報の宝庫かもしれないが今更――」
「いいんだ」彼は毅然と言った。「ジョン、こっちへ」
 いつもなら洗面所でさっと洗うのだが、洗ったら彼が見たいものは落ちてしまうのかもしれないなあと、言われるがままについていく。シャーロックは僕を長い方のソファに座らせ、自分のために一人掛けの椅子をずるずる引っ張ってきた。膝が触れるほど近くまで寄せなくとも、っていうか隣に座ればいいのでは? との控えめな提案はなかったことにされた。正確に言えば、彼はちっとも聞いていなかった。
「冷たいな」
 僕が差し出した両手を、一回り大きな手が包み込む。シャーロックの手は温かい室内同様、僕のそれと比べてだいぶ熱を持っていた。爬虫類めいた造形をしている割に、低体温というわけではないらしい。冬でなっても冬眠したりはせずに、コートを羽織ってどこへでも出かけていく。
「外を歩いてきたから」きゅ、と指を折り曲げる。思うように指が動かないのは、かじかんでいるからではなく他人に触られているからだ。
「それにしても冷えている。君は冷え症なのか? 血液の巡りが悪いようには見えないが」
「冷え症ではないと思うが、冬だからなあ」
 一月の最中、雪こそ滅多に降らないが気温は一番下がる時期だ。誰だってこんな寒い夜に外へ出たら手くらい冷たくなるだろう。たまに信じられないような薄着で街を闊歩している人もいるけれど。
 しかし撫でたりさすったりされているうちに、僕の手はシャーロックの熱をぐんぐん奪い取り、あっという間に同程度の温度になった。やけに冷たさを強調するから末端の体温の移り変わりでも調べているのかと思ったが、なおも彼が離さないので訊いた。
「これは何かの調査なのかい?」
 彼は左上に視線をやって二、三度瞬きをした。どうもわざとらしい仕草だった。「調査ね。イエスと言えばイエスだし、ノーと言えばノーだ」
「……何の答えにもなっていないぞ」
「尋ねれば必ず答えが返ってくると思っているなら改めた方がいいと以前言ったはずだが」
「あのなあ」僕はムッとして言った。「他人の手を借りておいてその言い草はないんじゃないか? 理由もなくベタベタさわられちゃあこっちだって気分が悪いさ」
「気分が悪い?」
「だってそうだろ?」
 なおも言い募ろうとする僕の手のひらの中央を、ぐ、とシャーロックの親指が押した。じんわり痛みが広がる。血行を良くするとかいう、東洋医学のツボってやつだろう。僕の微かな反応を見とがめ、どこまで信憑性があるのか知らないが、そこは腎臓と繋がっているのだとシャーロックは教えてくれた。―自分の手でやればいいものを。
 それから五分ほどかけて、彼は指先から手の付け根までをくまなく押していった。完全に実験台である。腎臓以外はさして痛まずこっそり安堵したが、腹も減ったし喉も乾いた、いつまでも君の好奇心を満たしてはいられない、そろそろ解放してくれないかと頼もうとしたところ、
「ジョン」と出しぬけに呼ばれた。「気分が悪いと言ったな」
 今度は何だよと思いつつ、「あ、ああ」
「なら例えば、サラに手を握られたら気分が悪くなるのか君は?」
「……ならないよ。なるわけないだろ」
「何の理由がなくても?」
「は?」
「彼女が君の手を握ることに、何の理由や必然性がなかったとしても、気分は悪くならない?」
「いや」
 それは違う、と思った。サラが僕と腕を組んだり手を繋いだりしてくれるのは、僕自身もそうするのは、必然性こそないが理由はちゃんとある。彼がはっきり自分の範疇ではないと宣言した、恐らくは理解はされないその部分に、あるのだ。互いに触れあいたいという気持ちはそこから湧き出てくる。
「シャーロック」
 君に聞くつもりがあるなら懇切丁寧に説明してやってもいい、モリ―とのやり取りを見ていると感知だけはしているようだし。まずは少し距離を取ってからと僕は腕を引きかけ、
「でも僕では悪くなる」
 硬直した。固まった。呆気にとられた。さっぱり意味が分からなかった。
「……だって」声が掠れる。「君には――」
 それこそ何の理由もないはずじゃないのか?
 でももし――万が一、彼に理由があったなら? そう仮定しかけて、思考もショートした。まさかそんな。あるはずない。ない。
「ジョン?」
 下から瞳を覗きこまれ、カッと頬が熱くなる。気分が悪いと言ったのは行動の不可解さに対して言ったのであって、手をさわられること自体は、別に、悪いもくそもない。シャーロックが僕の手をさわっているというだけだ。表面的な現象が全てであり、それ以上、特筆することなんて、本来は、ない――
 のにどうして僕は動揺している?
「ああ」
 ふと彼が声を漏らした。
「少し温度が上がったようだな。君の方が熱い」
 何故、と尋ねられる前に手を引いて、物足りなさそうなシャーロックを睨みつけた。
 彼は理解できないというふうにぱちぱち瞬きをすると、傷もタコもないしなやかな指を顎の下で組み合わせた。とたんに人形めく。先ほどまで熱を分かち合っていたにも関わらず、温かみの欠片も見当たらないのが不思議だった。
作品名:Sherlock小ネタ2 作家名:マリ