Family complex -2.14-
「…でね、ローデリヒさんたら酷いでしょう…っ!」
出された暖かいカフェオレに口を付けながら、エリザベータは飽きもせず泣き続けている。
菊はそれをうんうんと言って聞いているが、かれこれもう2時間だ。
それでも笑みを崩さない菊の忍耐は驚異的だとギルベルトは思ったが、問題はそこではない。
どうやら姉は夫と喧嘩をして家を飛び出してきたらしい。
なにも、バレンタインデーの日に喧嘩しなくてもいいのに。
そう言ってやりたいのを我慢して、ギルベルトも居間で菊の横に座りながら話を聞いていたが、そろそろ色々な意味で限界だ。
ギルベルトはため息を吐いた。
「おい、いい加減にしろよ、さっさと旦那のとこ帰れよな」
そう言うと、横から伸びて来た手に足をつねられる。
「いてっ」
ギルベルトは涙目になって隣りを見遣ったが、当の菊はエリザベータに向かって笑みを浮かべているばかりだ。
「うるさいわね、アンタまだ居たの。早く帰りなさいよ」
一方のエリザベータは、涙だらけの顔のままギルベルトに冷たく言い放つ。
「…てめえ」
さすがに堪忍袋の緒も限界で睨みつけると、「なによ」と睨み返される。
それはもう般若か何かのようで、ギルベルトはとたんに縮み上がった。
情けないと思われるかもしれない。だが女というものは怒るととても…とても、怖いのだ。
「私、今日はもう帰りませんから!」
エリザベータがそう言い放った。嫌な予感にギルベルトが顔を顰める。
そういえば、姉は時々こうして爆発する癖があるのを思い出した。
「菊さん、今日はここに泊めて下さい」
ギルベルトは思わず天を仰いだ。
**
「おい、どうすんだよアレ」
菊が台所に立ったのを見計らい、トイレに行く振りをして追いかける。
新しく茶を淹れている背中に声を潜めて問いかけると、菊はため息をついてから振り返って苦笑した。
「仕方ないでしょう、追い出す訳にもいきませんし」
「でもよお…」
なにもバレンタインの日に来なくても。
折角いい雰囲気だったのに、とギルベルトががっくりと肩を落とすと、菊はそっと手を伸ばし、宥めるようにギルベルトの背を摩る。
「まあ、こういう時もありますよ。貴方のお姉さんなんですから、辛抱してください」
「…できるだけ早く追い出すぞ」
そう言うと菊は返事をしなかったが、腰に手を回し、一度だけ縋るように身を寄せてきた。
帰ってきた時から美味そうな匂いがすると思ったら、菊が用意した夕飯はビーフシチューだったようだ。
そういえば、自分が前に「バレンタインはビーフシチューな!」と言った事をギルベルトは思い出した。
菊はちゃんと覚えていたらしい。
「美味しい!」
隣りで、それを口にした姉が憎らしいほど無邪気に声を上げた。
「菊さんて、本当に料理上手ですよね」
「ありがとうございます」
確かに、菊のビーフシチューは相変わらずとても美味い。美味いが、美味いのだが。
はしゃぐエリザベータにげんなりしながら良く見れば、シチューの中に入っている人参が、幾つかハート形になっていた。
ちらりと菊を見ると苦笑いを返される。ああ…。ギルベルトはスプーンを噛んだ。
(二人きりで食いたかったぜ…)
現実は甘い雰囲気なんてほど遠い。
「でね、今度あそこに新しいショッピングモールができたでしょう?」
そんなギルベルトを他所に、エリザベータは楽しげに菊に言っている。菊も穏やかに相づちを打っていた。
「明日行きません? お買い物したいの!」
(おいおい、我が侭言うんじゃねえよ)
菊にだって仕事がある。自由業だから融通はきくのだろうが、そうは言っても時には睡眠時間を削って予定を調整しているのをギルベルトは知っているのだ。
「そうですね、行きましょうか」
「ちょっ…」
思わずギルベルトが口を出そうとすると、エリザベータに「なによ?」と例の顔で睨まれる。
「ギルベルトさんもどうですか?」
菊に聞かれてギルベルトは「俺、仕事あるし」と返した。
ぶっきらぼうな言い方になってしまったせいか、菊は困ったようにギルベルトを一瞥してからエリザベータに向き直る。
「では二人でですね。女性とデートなんて久しぶりです」
「そうなんですか? きゃー、楽しみ!」
まるで女子高生のようなはしゃぎぶりを見て、お前幾つだよ、とギルベルトは思わず内心で呟いた。
年齢はともかく、エリザベータは学生どころか一児の母親である。
ギルベルトは食事を食べ終えると、ため息をこぼして「ごちそうさん」と言って席を立った。
「おや、もうよろしいのですか?」
菊が戸惑うようにこちらを伺っているけれど、「もういい」と言って居間へ戻る。
後ろから「いらないって言ってるんだから大丈夫ですよ」というエリザベータの声が聞こえ、その後楽しげな笑い声がして、ギルベルトは苛々と玄関へ向かった。
「あの、ギルベルトさん、どちらへ?」
菊が慌てたように玄関へ出て声を掛けてきたけれど、そちらを見る気が起きずに「ビール買って来る」と行って出てきてしまった。
家を出ると、冷たい空気に肌が粟立った。
思わずジャケットのポケットに手を突っ込みながら空を見上げると、今日は曇っていて星は一つも見えない。
バレンタインの夜は無情にも更けていく。
(んだよ、「女性とデートなんて久しぶりです」って、結構まんざらでもねーんじゃねえの?)
段々と、菊の穏やかさを崩さない顔が憎らしくなってきて、ギルベルトは道の小石を蹴った。
わかった事は一つだけ。
少なくとも明日まで菊は姉に独占されるという事だ。
作品名:Family complex -2.14- 作家名:青乃まち