【かいねこ】海鳴り
日が落ちてから、屋敷に戻った。
いろは様は相変わらず本を読んでおり、俺が声を掛けると、うっとうしそうにこちらを見て、すぐに視線を落とす。
ただ黙っているのも気詰まりなので、なんとはなしに、主人に会ったことを話した。
また「黙れ」と言われるかと思ったが、彼女は顔をあげると、本を閉じて俺に向き直り、
「お前の主人、名は何と言ったか」
「大瀬にございます」
「人形遣いであったな。会って、どんな話をするのだ?」
「え?」
意外なことを聞かれ、驚いていろは様の顔を見る。
「お前の主人は、お前にどのように接するのだ?厳しく当たるのか?それとも、我が子のように優しく扱うのか?」
「あっ、はい。主人は、とても優しく、時に厳しく、私を導いて下さいます。私は、主人の子供達の世話を任されております」
その後も、子供は何人だとか、奥方はどのような人柄だとか、細かく聞かれた。
特に、主人が俺に何を話すのか、どのような態度を取るのか、それを知りたがる。
「いろは様にも、分からないことがあるのですね」
俺が彼女に教える立場なのがおかしくて口にすると、彼女は首を傾げ、
「そうだな。私は主と、二度しか顔を合わせていないからな」
と言った。
「え?二度?」
驚いて聞き返すと、いろは様は頷き、
「私が作られた時に一度、龍神子様の元へ連れられた時が一度、だ。作られた翌日には、私は此処へ来たからな」
「翌日?そんな急に?」
「確かに、急な話だな」
いろは様は、ふいと顔を逸らし、
「もう良い。下がれ」
「はっ」
俺は頭を下げ、彼女の元を辞す。
自室で何をする気にもなれず、横になって天井を見上げた。
・・・・・・作られた翌日には、隔離されたのか。
俺以外とは口を利けず、出られるのは屋敷の庭だけ。
その生活を淡々と送り、約一ヶ月後には命を落とす。
余りに虚しく短い生ではないかと、胸が締め付けられた。
ミクは、彼女に何を伝えたかったのだろう。
自分で言わなければ意味がないと、言っていたが。
あれこれ思い巡らせていたら、足音が聞こえる。
慌てて体を起こすと、いろは様が顔を覗かせた。
「御用がおありでしたら、呼んで下されば」
「ない」
そう言い捨てて、彼女は足早に去っていく。
後ろ姿を見送りながら、
・・・・・・彼女にとって、伏木様はどのような存在なのだろう。
たった二度しか顔を合わせてない相手、自分を生け贄として差し出した相手に、どのような感情を抱いているのだろうかと考えた。