吾輩は猫である
放課後、音楽準備室にいない俺を捜し回り、森の広場で吉羅に出張のことを教えられたときは、さぞがっかりしたことだろう。
「先生、また明日――」
「おう、気をつけて帰れよ」
――それが、月曜から金曜日まで繰り返される、俺と彼女の別れの挨拶だった。
当たり前に訪れていた「明日」が、こんな形で突然来なくなると、誰が予想しただろうか。
「みゃぉぉ」
(日野……)
俺は日野を見上げて、小さく鳴いた。
「なあに、ヒロさん、励ましてくれるの……?」
ぎゅっと抱き締められる。
俺は宥めるように、日野の柔らかい頬に顔を擦り寄せ、甘い声で鳴いた。
「ふふっ……ヒゲがくすぐったいよ」
身体を震わせて、日野は嬉しそうに笑う。全身を包む彼女の温もりが心地好かった。
人間でいるときには、望むことすら許されないことが、猫になった途端、こうも簡単に成し遂げられる。
俺は今回の事故は、降り掛かった災いだと思っていたが、案外、それだけじゃないのかもしれないな。
「ヒロさん、有り難う……お陰で元気が出たよ」
鼻先にちゅっと、キスを落とされた。
「んにゃっ!」
驚きのあまり、声をあげてしまう俺。
目をしばたたかせる日野。
もし、この毛皮がなかったら、俺は赤くなっているのだろうか……?
――訂正、やっぱりこれは災難だ。
その夜、規則的に繰り返される日野の可愛いらしい寝息を聞きながら、明日、吉羅を捕まえて、代わりにメールを送らせることを、俺は決意した。
吾輩は猫である。名前は「ヒロ」
今日から日野家の居候になった……。