吾輩は猫である
ずっと下ばかり見ていたせいで、誰かにぶつかってしまったようだ。
(吉羅か? ……なら、話が早い。一緒に服の捜索を手伝わせて――)
「にゃっ……」
「おや……?」
顔を上げて、俺は一瞬固まる。
見上げた視界に映るのは、ブランド物のダークスーツではなく、音楽科男子の制服だった。
艶やかな長髪が、さらりと揺れる。
「みゃぁ!」
(ゆ、柚木っ……)
無様に叫ぶと同時に、首の後ろをぐいっと掴まれ、そのまま持ち上げられる。
宙に垂れた前肢の包帯を見て、柚木は端正な顔をしかめた。
「ふーん……お前が昨日、火原が話していた猫か」
口元に皮肉めいた笑みが浮かぶ。
今は独りなのだろう。黒モード全開だった。
日野から茶飲み話の肴程度には聞いていたが、俺がこっちの柚木を目の当たりにするのは、初めてだ。
何だ、この異様なまでの迫力は……?
はっきり言って、薄気味悪いぞ。
「――ちょうどいい。俺は退屈していたんだ。お前さちょっと付き合えよ」
鋭い視線を向けられて、背中の毛が逆立った。
吾輩は猫である。名前は「ヒロ」
短い猫生において、何度目かのピンチを迎えようとしていた……。