お節介な贈り物
4
小さい頃からホワイト・クリスマスに憧れていた。
でも、私の住む街は冬でも暖かくて、十二月に雪が降ることすら滅多になく、ましてや一面銀世界になるなんて、まず考えられない。
いつ降るか分からない雪を待つのではなく、雪のあるところに自分が行けば良いと、気付いたのはつい最近のこと。
だからこれは、願ってもないチャンスの到来。
そして今、私は大好きな人と、雪の街を歩いている……。
初めて訪れた街であるにもかかわらず、妙な親近感が涌くのは、ここが横浜と同じ、港町だからか、それとも「彼」が隣を歩いているからかなのか……。
上機嫌な金澤の横顔を見つめながら、香穂子はそんなことを考えていた。
「函館って、塩なんだな……普通、醤油だよな」
「先生?」
「ん……? いや、ラーメンの話。函館は塩ラーメンが標準なんだなーって思ってさ。さっきの店、ダシが利いていて美味かったな」
「昆布、でしょうか……?」
「多分、昆布だろうな。俺はがっつり系も好きだが、ああいうさっぱりしたのも好きだ」
教わったばかりのご当地ラーメンを堪能し、路面電車に揺られて、何となく辿り着いた先は、赤レンガ倉庫群だった。
暖房がしっかり効いた建物の中では、コートを着ていると汗ばむぐらいで、ここが北海道であることを忘れてしまう。
「赤レンガって、何処も同じような雰囲気ですね」
ガラス細工の専門店や雑貨屋の店先を冷やかしながら、ゆっくりと歩く。
さっきまで、ヴァイオリン・ケースをぶら下げていた香穂子の右手は、金澤の大きな手のひらにすっぽりと収まっていた。
「お、言われてみりゃ、そうだな。横浜にもあるもんな」
つまらないか、と金澤が訊けば、香穂子は首を振って否定した。
「ならいいが……お前さん、何処か行きたいところはないのか?」
「行きたいところですか? ……じゃあ、朝市」
「朝市って言うんだから、行くなら朝だろ。それは明日な。で、他は?」
「えっと……」
教会、記念館、それから確か……。
ガイドブックで予習したはずの観光名所は、金澤に見つめられた瞬間、綺麗さっぱりと吹き飛んでしまっていた。
香穂子にとっては、こうして金澤と手を繋いで街を歩けるだけで十分だった。このゆったりとした時間が続くのであれば、目的地なんて別に何処でもよい。
「……忘れちゃいました」
「おいおい、しっかりしてくれよ、若人。ボケるにはまだ早いだろ」
二重になった扉を開けて、建物の外に出る。
「おおっ、寒っ……」
凍てついた外気が瞬時に体温を奪い、金澤は思わず身震いした。
「あっ――!」
屋外広場に建てられた、巨大なもみの木を視界にとらえ、香穂子がぴたりと足を止める。
「クリスマツリーか。それにしても、でかいな……」
「先生、見てください。綿じゃなくて、本物の雪を被ってますよ」
点灯前のツリーには、粉雪が降り積もって、うっすらと白く化粧をしていた。
「ホワイト・クリスマス……ですよね?」
嬉しそうな香穂子の声につられて、周りを見渡せば、どこもかしこも銀世界である。
「そうだよな。今日がクリスマスなんだよな……」
どうも実感が湧かないよなぁ、と空いた右手で首の後ろをかきながら、金澤はぼやいた。
クリスマスに託けたイベントに、散々振り回されておきながら、肝心のクリスマスを楽しむ余裕が、殆どなかったことを、皮肉に思う。
「今年はケーキもチキンも喰わずじまいか……」
二十五日を迎え、クリスマスが終わろうとしている今、ようやくこうしてツリーを眺める時間が取れただけでも、良しとするべきなのだろうか。
そんな金澤の感慨など知るよしもなく、手を繋いだ傍らの少女は、うっとりとした眼差しで、色鮮やかに飾り付けられたツリーに見入っている。
「私……嬉しいんです」
何が、とは訊かなかった。
「サンタクロースはもう故郷に帰っちまったから、プレゼントは無しだけどな」
「要りません。これ以上の贅沢を望んだら、罰が当たります。こうやって先生と一緒に過ごせるだけで十分です」
そんな訳、あるはずがない。
香穂子は青春真っ直中のティーンエイジャーだ。惚れた相手にしたいこと、してもらいたいことは、上げればきりがないだろう。
たとえば……。
「ほれ、お前さんも、ツリーの前で写真を撮ってやろうか?」
クリスマスツリーを背景に、多くのカップルが笑顔で写真を撮っている。姉から借りたスリムタイプのデジカメを、香穂子が持参していることを金澤は知っていた。
「じゃあ、先生も一緒に写ってくれますか?」
「無茶言うなよ……」
香穂子の問い掛けに金澤は、苦笑して首を振った。
学院から遠く離れ、二人きりになった今、ただの教師と生徒として、写真に写る自信はなかった。
「……なら、いいです」
自分だけが写っても意味はない。それならば、一緒に見たという想い出を心に刻みつけておく方が、ずっといい。
香穂子は弱々しく微笑んでそう言うと、携帯電話のカメラでツリーを撮影した。
健気な彼女の態度に、胸の奥がちくりと痛んで、金澤は思わず顔をしかめる。
恋人同然の関係でありながら、ツーショットの写真一枚すら望めない。彼女が自分の手を握って進むのは、楽しいことよりも、辛く苦しいことの方が遙かに多い、茨の道だった。
――なあ、お前さん、どうしてこんな面倒な男を選んじまったんだ……?
それはあまりに愚かで不毛な問い。
口にしたところで、香穂子を悲しませるだけだ。
金澤は喉元まで込み上げた言葉を嚥下し、自嘲気味な笑みを浮かべると、静かに頭を振った。
写真に残せないならば、もっとたくさんの素晴らしい想い出を残してやった方がいい。不甲斐ない自分でも、それぐらいのことはできる――いや、そうしたいと願っている。
「先生……?」
携帯電話をポケットに戻し、不思議そうに自分を見上げる香穂子の頭にぽんと手を置くと、金澤は唇を震わせた。
「……お前さんの希望がないならさ……俺の行きたい場所に行ってもいいか?」