いと
「俺はあなたをそのように思ったことはない」
と一蹴するように言ってのけた人の、その答えは、たぶん初めから知っていた。
もちろん、悲しくないことはなかったけれど、望美はそれでいいと思ったのだ。仕方のないことだと、そう思うから。
けれど、元の世界へ帰ろうと言う今、彼の人が見送りにも来てくれないことは、少しだけ寂しい。
もしも、あの日望美が告げてしまった気持ちを、鬱陶しいものだとでも感じ、来てくれないのだとすれば、言わなければ良かったと、後悔すらしてしまいそうだ。
しかし思い返してみれば、彼――泰衡が、果たして本当に、見送りに来てくれるような人なのか、ということに疑問も湧いてくる。あのとき望美が何も言わなかったとしても、彼は来なかったかもしれない。
そうだったら、それはそれでいいのかもしれない。さようなら、とちゃんと口にして言えなかったことを、悲しむだけだ。
別れと礼を告げる文は、先日、銀に届けてもらった。返事の代わりに、花がもたらされたけれど、どう考えてもそれは銀が用意してくれたものだろう。泰衡が、そんなものをくれるとは思えなかった。
「神子」
呼びかけは白龍の優しい声音だった。
顔を上げると、将臣と譲もすっかり覚悟を決めた様子で、望美が行こうと言うのを待っているのだ。
そこに、道は開かれている。元の世界へと続く、時空の回廊。
「――帰ろう」
望美が口にすると、譲ははい、と答え、ああ、と将臣が笑って頷いた。
その、開かれた道に、先に入ったのは将臣で、続いて譲が一歩踏み出した。それから二人が、こちらをふと振り返った瞬間――望美が足を踏み入れようとしたときだった。
背筋の凍るような感覚だった。冷や水を浴びせられたような気がした。
目を見開き、望美は立ち尽くす。
「神子――!」
白龍の切迫したような声に、望美は自分を神子に選んだ神の、青年の姿を見やった。彼は、ひどく張り詰めた、緊張した表情を見せる。それは、望美も同様だった。
どうしたんだ、と将臣が呼びかけてくる。どうしたの、と朔たちも心配そうに望美に問いかける。
しかし、分からない。望美は自分の体を巡る、奇妙な感覚のために、体を少しも動かせずにいる。白龍が、神子、と真剣な声で言う。
「誰かの命が――命が、憎しみに絶たれていく……」
「……誰かが、殺され、るの?」
震える声で問う。
どうしたことか、望美もまた、白龍と同じものを感じていた。それは今、龍脈が正しく巡り、白龍の力が確かに取り戻されているためなのかもしれない。神子である望美もまた、己が神と感応し合っているのだろうか。
大気に入り混じるものは、憎しみと戸惑い。そして――人の命が、薄れていく。
「おい、望美――」
「先輩!」
幼馴染みの呼びかけが、背後から聞こえた。望美は無意識のうちに、故郷への道から目を逸らし、そちらに背を向けていたのだ。九郎たちも、ぎょっとしている。
「ごめん、私……後から行くから、将臣くんと譲くんは、先に帰っていて」
「何を言っているんですか、先輩っ!」
譲の声に、望美は肩越しに振り返って、ごめんと大きく告げると、そのまま制止の声など耳に入れずに、走り始めていた。
行かなければならない。誰かが死んでいくのなら。
――誰か、が誰なのか、どうしてだろうか、望美には分かりかけていた。
(違う人だって、思いたいのに……!)
けれど――。
***