いと
幼い少女が、どうしたのおにいちゃん、と舌足らずに呼びかけている。望美は、駆けて来たために乱れた息を整えながら、その傍らへと近づいていった。
地面に広がっていく赤黒いものが何なのか。そこに倒れた男が誰なのか。思考はそれを拒もうとしているけれど、そんなことはできないのだ。
少女は、望美がいることに気づいて、おねえちゃん、と呼んできた。その手には、いくつか花が握られている。春の野の花は、暖かな陽射しに似合う、明るい色をしているものだ。
「ねえ、おにいちゃん、どうしたんだろう? ねむっているのかなあ?」
でもお外で眠ってしまうなんておかしいね、と無邪気に言っている。
しかし、望美の耳には入ってこない。
倒れた男の傍らに寄り、がばとその場に膝をついた。縋るように、その人を抱き起こした。――力ない、重い体。
「泰衡さん!」
叫ぶように呼びかけると、彼は薄らと、ほんの僅かに、本当に微かに、瞼を上げた。
望美だと気がついたからなのか、彼の眉間に皺が寄せられた。
「み、こ……、どの?」
彼の声が、これほどに掠れて聞こえたことなど、一度もなかった。いつでも、はきとした迷いのない声だったのだ。それなのに、こんなに聞き取りにくいほど、息遣いが細い。
「なに、を、なく……?」
言われて初めて、望美は自分の頬を、拭おうにも拭いきれぬほどの涙が伝っていることに気がついた。視界が霞むのは涙のせいなのだと、そう気づいた。
唇が、震えてどうにもならない。
「す、ひら、……泰衡さん。死なないで。お願い……死なないで」
「……そ、――は、む、りだ――」
無理だ。彼は言う。
これまで、そんなことを言うことはなかった。できぬことはないかのように、できぬこともなそうとしていたはずなのに。
「俺、は……ここで、し、ぬ。……く、九郎に、伝え、ろ。奥州を、治めろ、と」
「……嫌。駄目、お願い。そんなの自分で言ってよ! 目を閉じないで、……!」
嗚咽が喉を溢れそうになる。必死に堪え、望美は泰衡に訴えるが、彼は望美の懇願など耳に入らぬかのように、ゆるりと目を閉じた。
そして、最後に言った。
「白龍の、神子の、腕に、抱かれ、て死、ぬとは、……思っていたより、わる、くは、ない――」
息が途切れた。
涙を止める術も、感情を抑える方法も、もう望美の中には残されていなかった。
救うことは、できるはずもない。その手に、白き神の逆鱗も、残されていないのだから。
――彼女の悲痛の叫び声は、天を衝き抜けたことだろう。
***