いと
九郎がやって来て、散々泰衡を怒鳴ってくれたものだ。見送りに来い、とひどくしつこかった。
仕事が忙しくて行けるわけがないだろう、となおも断り続けると、無量光院だ、と告げて去っていった。
そうして、泰衡は数刻前に、目をすがめてそれを見送ったところだ。
白龍の神子とは、夢占でもするのだろうか。誰に何を言われても決して見送りに来るな、という彼女から文を思い出さずにはいられぬではないか。彼女は、こうして九郎がしつこく見送りに来いと説得に来ることまで、知っていたのだろうか。
戦の事後処理についての書面に目を通す。足りぬところがあれば筆を入れる。
平泉は、未だに全ての復興まではできずにいる。それでも、僅かずつ、新たに弔われた死者たちの魂の数だけの人間を、豊かにせねばと思う。それを、彼は九郎とともに成し遂げねばならぬ。これは、先代当主たる父の願いであり、また泰衡自身の考えでもあった。
そう思うと、先程の投げつけられた、九郎の言葉が心にかかる。
馬鹿だと罵られ、後悔するぞと言われた。今日で本当に最後なのだから、見送りにくらい来い、などとそれこそ愚かしいことを言う。
何をどうしろと言うのか。別れの言葉なら、泰衡に代わり、銀が彼女に告げるだろう。既に彼女からの別れの言葉は、文にて受け取っている。それでいいだろう。まして、彼女自身が来るなと言っている。
――けれど。
この、胃の腑から込み上げるような不快感は何だと言うのか。消したはずの火が、燻るように煙を上げているような、この感情の正体は何か。
そも始まりは、彼女を初めて見たときだ。まるで、以前から彼女を見知っていたような気がした。そうして、彼女が向けて来た視線の鋭さ。まるで彼を射殺すつもりがあるように感じられた。それからは、会えば必ず彼女にそれらを感じた。その度に、今のような苛立ちを募らせた。訳が分からない、この既視感のようなものを、払拭したくて仕方なかった。
一度は、これも治まったのだ。彼女が何故自分を奇妙な態度で見ていたのかの理由を知ったとき――彼が未来で何をするのか彼女は知っていたのだ――、それは和らいだはずだ。
それなのに。
泰衡は、立ち上がっていた。そのまま、見咎めるように声をかけてきた舎人に出かけることを簡単に告げ、愛馬に跨り外に出た。
愚かしいことだと思わないではない。白龍の神子から、文で願われたとおり、彼は見送りに行かぬ方がいいのだろう。それとも、あれは未来を見通すものとは関係がなく、ただ彼女が見送りに来て欲しくないというだけだったのか。どちらとも、彼には分からぬ。
だが、どちらにしても同じことだ。彼は行くつもりなどなかった。けれど――彼は、馬の足をひたすらに、無量光院へと向けていた。
ふと道筋の途中に、幼子の姿が見えた。何か浮かれたように歌っている。それほどに、春の訪れを喜んでいるのかもしれない。
目を留めると、この童と目が合った。そうして、まるで邪気のない笑顔を向けてくる。馬の歩みを、止めていた。
「おにいちゃんにも、あげるね」
はい、と差し出されたものは、花だった。黄色い、それは蒲公英か。受け取ろうにも、この女童がどんなに背伸びをしても、馬上の彼には届かない。仕方なく馬を降りた彼に、花をしっかり手渡すと、少女はますます嬉しそうに笑った。
「あっちにもっときれいなお花があったの。とってきてあげるから、ちょっとまってね」
そんなことを勝手に言って、駆けていってしまう。さて、これでは急いで無量光院に向かえぬと、受け取った花を見つめ、溜息をつこうとしたときだった。
「四代目、この簒奪者――お覚悟!」
野太い叫び声に、はっと顔を上げる。武士だ――それも、奥州の。
咄嗟に避けようとしたが、考えるまでもなく、遅いことを瞬時に悟った。避けられぬと、その瞬間、泰衡は覚悟を決めた。
――存外、遅かったものだと、そう思った。
***