いきあたりばったり人生
間の悪い事に丁度夕飯時だったため、飯でも食おうということになってしまった。失恋したばかりで非常に気まずく、正直喉を飯の通るような状況ではなかったので固辞したのだが、久しぶりすぎて固辞されるとますますむきになる幼馴染の性格をすっかり失念していた。
酒気を入れるのはまずいなと思ったのに、食欲がないから飲むしかなく、男のくせにノンアルコールなんてふざけたこというなと先手を打ってじゃんじゃん生を注文された結果、想像以上にべろべろだ。
回らない頭で迂闊な事を言うまいと言論を統制したところ自然黙りがちになって、久しぶりに会った人と話す共通点なんか近況と故郷のことと野球の試合結果くらいしかなくて、二時間もサシで過ごせば大抵の話題は尽きてしまった。
どうやら調子よく仕事の憂さを口にしていた相手もそろそろネタ切れのようで、この刺身はうまい、が五回目だ。
やれやれ、そろそろ終幕にしますかね。切り出そうとした時に私以上にべろべろの顔が呟いた。
「あの時は、悪かったな」
くるくる回る頭がなんの話題か思い当たらない。いや、むしろ、思い当たる事が多すぎて見当がつかないといったところか。小学校高学年の頃本屋のお姉さんの視線にドキドキしながらようやく買った露出度の多いアイドルの写真集を奪われてそれきり帰ってこなかったことだろうか。中学の時肝試しで林の中に置いてけぼりにされたことだろうか。高校三年で一緒にプールに行こうと約束していながらすっぽかされ五時間待たされたことだろうか。
どうせもう終わったことだから、私はへらへら笑う。
「いまさら、過ぎたことだし」
過ぎた、と唇が僅かに動いた。母親に捨てられた子供のようなまなざしで、幼馴染は私を見た。
「そんな言い方すんなよ」
「だって、昔の事でしょう。気にしてませんよ」
なんだか話がおかしいなとそのあたりで気付いた。
「ばかみてえじゃねえか」
震えている箸は酔いのためではないだろう。
「気になってた。あれから。謝ろうと思って連絡取ろうとしたら、携帯変わってるし、実家とも縁切れたって」
「ああ」
ようやく、小さな子供の頃ではなく、別れた頃のことを言っているのだと気付いた。卒論が終わった段階で両親に自分の性癖をばらし、想像通り勘当をされたので以後実家とは連絡を取っていなかったのだ。
彼の言では自然消滅ではなくて、私の方から切ったということになる。しかし少なくとも進学後しばらくは私の方から電話をかけて、連絡先も教えていた。けどいつ頃からか、留守電に一方的に喋るばかりになってきて、あちらからかけなおしてくれることも減って、メールも返ってこなくなって、もう終りなのだろうと悟ったのである。やはり拙い恋は終わるべくして終わったのだろう。携帯の番号を変え引越したのは、それ以後のことである。
噛んで含めるように説明する事は酔った体には面倒で、切り捨てる。
「すみませんでした。でも今はお互い、幸せだし」
別れたばっかだけど。
「今考えるとやっぱり、若気の至りでしょ」
改めて考えてみれば、友情と愛情の線もはっきりしない、憧れと曖昧な独占欲の混じった不思議な恋だった。
「本気だったよ、本気だと思ってたよ、おれの方は」
しょげた頭には白髪が見える。
「好きだったよ」
「それでも自然消滅ってことは、友情の域を越えてなかったんですよ」
だんだん腹が立って来た。今更なんだって言うんだ。私が悪かった事にして、罪悪感から逃れようって頭か。十何年も昔の。
「あれから、女性と付き合いました?」
戸惑った男は気まずそうに視線をずらす。
「そりゃ……でも、長くは続かなかった。お前のことがあったから」
「人のせいにしないでいただけますか」
財布の中の万札を投げて、立ち上がる。
「私は女の手を握った事だってありません、つまり、そういうことなんです」
男が好きなんだから、仕方がないじゃないか。
「待てよ、携帯か名刺……」
「二度と逢う必要もないでしょう。少なくとも私の方には理由がありませんね。」
遭うんじゃなかった。遭わなければ、懐かしい淡い恋だったのに。
今はもうあの恋も、男も、あんなのに惚れた愚かな自分自身も憎いばかりだ。
作品名:いきあたりばったり人生 作家名:藻塩