いきあたりばったり人生
厭な予感がした。
飲み会だというので参加に丸をしてから店の名前を聞いたら例の居酒屋だった。その時点でやめておけばよかったのに、ドタキャンは幹事に失礼だし、まさか鉢合わせる事もないだろうと思ってしまったのが失敗だった。
いるじゃないか。
カウンターで飲んでいるじゃないか。
予約席は座敷でしかも奥側に座ったのでとりあえずは口を利かなくて済んだけれど、ちらちらと声をかける隙をうかがっているように思える。あっちがトイレに立った際に中座して帰ろう、ととりあえず乾杯を済ませた後に幹事に声を掛けたところ、あたりに響き渡るでかい声で「だめですよ」と言い切られた。
「今日は先生の恋愛話を聞きに来たんだから」
「そうそう」
余計な誤解を招かない為に、私がこういう性癖だということは仲間内にはカミングアウト済みで、時々相談なんかにも乗ってもらっていたりする。
「で、なんで別れたんすか!」
いきなりですか。
あちらを向いて知らん振りしてる幼馴染の耳がぴくぴくと傍目でも分かるくらい動いている。聞こえただろうか。聞こえてないことを願う。
「そういうこといきなり聞くもんじゃありませんよ。それより君の方は」
「前からメール見て溜息ついてましたもんね!やっぱり原因はなんすか、浮気っすか」
話をはぐらかそうとすればするほどヒートアップしてくる。
「そんなんじゃないよ。だからその話はいいって」
「よくない」
濁声が響き渡って、皆一瞬顔を見合わせる。
そういえば、あまり辛抱強い方ではなかった。割って入った異邦人は並んで座った後輩を蹴散らし私の肩を掴んで睨んだ。
「なんだそれは」
「関係ないでしょう」
店員が制止に入ってくる前に腕を振り切り、ごめんねと職場の仲間に断って逃げるように店を出た。安くてうまいのでよく使う店だからあまり面倒を起こしたくない。会計を済まし走って追ってきた人の頬を振り向きざまに張る。
「なんですか!いい大人が!」
ちっとも利いてはいなかったが、少し頭が冷えたのか。目に見えて凋んで、高そうな靴を見つめながら待っていた、と呟いた。
「お前と話したかった」
「……スタバでいいですか」
雰囲気のあるバーに行けば、流されてしまうかも知れないと思った。
「もう止めようと、考えてるんですよ」
仕事をか、と尋ねられたので違うと笑った。
「誰かに期待すること」
別れた理由をきちんと語った。先日まで付き合っていた人とは本当にうまくいっていて、気も合って、でも共に歩む事はできなかったと。
「日本じゃ養子を貰う事も難しいですから、歳を取ったらお互いに支え合って暮らすしかないでしょう。私は家とは縁が切れていますが、相手の方のご両親はまだ健在で介護の問題もあるし、跡取りだからどうしようもない、と。」
だけど、どこにも道が無い訳ではなかったと思う。つまり、リスクを引き受けてまで私と歩む必要が無かったという意味。
そんな別れ方は浮気をされるよりも、喧嘩よりも、ずっと苦いものだ。
「ひでえな」
「ひどくなんてない。当り前の結論だ。……だから、あなたが女の人を愛せるなら、その方がいいというんですよ。私はあなたとは最初から違う考え方を持っているし、一人で歩む覚悟はできている。」
神妙な顔をして私の言葉を聞き終えると、先程肩を掴んだときと別人のように打ちしおれた人は良い香りのする珈琲を実にまずそうに啜った。
「そんなのは、理由にならんだろう」
「別れた人にも同じこと言われましたよ、最初の頃ね」
激情に溺れて傷付くのはもううんざり。
「……変わっちまったんだな」
再びあの、己を棄てた母親を見るまなざしで、幼馴染は私の無表情を見つめた。
「ずっと、同じ気持ちでいてくれるもんだと勘違いしてた」
やっと解ってくれたのか。
「これから寂しさにまかせて付き合いだしたとしても、お互いを憎みあうような形で別れるに決まっているのです。そんなことになるのなら二度と逢わないほうがいい」
忘れないでいてくれたことには感謝しますと最後に告げた。晁蓋も曖昧に微笑んだ。
作品名:いきあたりばったり人生 作家名:藻塩