『ごめんなさい。これが最後の愛し方だったから』
そこでフランの歪な翼が妖しく光った。鈴生りに連なった鮮やかな色彩の魔道石が、長大な呪式を瞬時に演算したのだ。やはり吸血鬼純正の翼と比べると、明らかに異形のそれを、フランは決して好きになることはできなかったが。
フランはレミリアの翼が、たまらなく美しいと思っていたからだ。
だが、魔力を行使する際には、実際の所大いに活用していた。
本来ならば、脳で行うべき演算を外部処理できる時点で術者たるフランにかかる負荷は大幅に減少する。実際にフラン特有の『破壊』を行使する際には、この翼で対象の存在構成を解析し、その弱点たる『目』に魔力で介入する。そうすれば、存在そのものが崩壊し、目に見える破壊がもたらされる。人間の中心部を破壊すれば爆散するし、特定部位だけを綺麗にちぎり取ることも可能。
なんだこの式は? 中途にどの値を代入しても虚数に収束してしまう。
「ああ、そうだったわね。これは所謂、空間の固着ね。この式を座標指定して発動すれば、その空間内では次元と物理事象を改竄することができなくなる。つまり出ることも入ることもできない上に、能力を行使することもできなくなる。絶対の領域が構築できるって訳。『聖域』と私は呼称しているけど」
パチュリーの説明で納得がいった。
恐らく、効果が顕著なのは咲夜に対してこれを行使したときだろう。
この『聖域』中では彼女の能力は使い物にならなくなる。
おおかた、魔理沙がパチュリーをかどわかして作らせたのだろう。魔理沙は紅魔館に不法侵入しては、咲夜に迎撃されていたから。全く、魔理沙に好意を持っているのは良いが、盗まれるのは主にパチュリーの魔導書であることを失念していないだろうか。
例に漏れず美鈴はいつも無能扱いされるが、フランが思うにそれは不憫でならない。
美鈴が門番としてまるで役に立たないのは、数世紀に及ぶ不摂生が原因だろう。彼女は優しすぎるが故に主食である人間を絶った。そのせいでそぶりこそ見せないが彼女は確実にやつれてしまっている。事欠いて能力に関しては全盛期の何分の一まで落ち込んでいるのだろうか、フランには見当も付かない。
少なくとも、全盛期の彼女に勝負を申し込む命知らずな人間は居なかったろうに。
「ふぅん、がんばってね。たぶん、八割方完成してると思うから。私は部屋に戻るよ」
とりあえずフランはその式を覚えておくことにした。
「珍しいわね。貴女、いつもここに来たら、開口一番に遊ぼう、ってごねるのに」
今日はパチュリーが人にかまって欲しい気分だったらしい。気付いたらこの図書館全体に『瞬快』が発動していた。『瞬快』は対象の形状を記憶し、たとえそれが跡形もなく破壊されたとしても術者が設定したトリガで元通りに復元される。弾幕ごっこを執り行う際には必須の魔法だった。
「それも捨てがたいけど、今はやめとくよ」
フランは珍しく申し出を断った。未だに感情が揺らめいていたからだ。フランは感情を制御する術を知らないが、自分の状態を把握することはできる。495年間の経験から言うと、今のフランは間違いなくコンディションレッド。こんな状態で魔力を過剰放出する弾幕ごっこなんかやった日には何が起こるかわからない。もとより、魔力というものは精神と背中合わせの関係にある。
「……? そう。じゃあね」
パチュリーは一つ指先を振ると、『瞬快』を解除した。そして、魔導書に目を下ろすと、それから静止画を見ているかのように全く動かなくなった。時折、瞬きで長いまつげが振れるのと、ページをめくる緩慢な動きが観測されるが、それを確認するまでもなくフランはきびすを返していた。
咲夜はいつもの如く、レミリアの側に仕えていた。
レミリアは優雅にティーカップを傾けて、静かに夕焼けに紅く染まる世界を眺めていた。
咲夜はどこかよそよそしげに、その時が来るのを待っていた。
「――咲夜」
レミリアが音もなく席を立つ。咲夜は、びくり、とその身を竦ませて主の言葉に応える。
「ここに」
咲夜は脅えていた。人の本能が警鐘を鳴らす。敬愛するべき主に対して、恐怖心が鎌首をもたげる。だけど、それを無視して、咲夜はあくまで冷静に努める。
「――かけなさい」
レミリアは今まで自分が座っていた椅子を引き、咲夜をそこに誘った。
「失礼いたします」
咲夜は椅子に腰掛け、レミリアに背を向ける。
レミリアは咲夜の後ろ髪を愛おしげに掻き上げる。顔を咲夜の後頭部に埋めた。鼻孔一杯に咲夜の香りを吸い込んで、レミリアは陶酔した溜息を吐いた。
とろん、とした眼でレミリアはうなじにキス。
咲夜は胸に去来する感覚に戸惑いを覚えながらも、レミリアの欲求に努めて応える。
レミリアの熱い吐息が首筋に掛かる。
「あっ!」
思わず声が漏れる。レミリアは小さく微笑んで、咲夜の首筋に舌を這わせた。
咲夜は悩ましげに身をよじる。その事に気を良くしたレミリアは、その透き通るように美しい肌に牙を立てる。
「ああっ!」
咲夜の身が跳ね上がる。自分の熱量が奪われていく恐怖と、流れ込んでくる快楽に戸惑う。
「お姉様ッ?! 何をしているの!」
気がつくと、フランがそこに立っていた。若干の貧血のため胡乱にぼやけた瞳でその姿を確認する。珍しいことに、フランは苛立っていた。
「何って、見れば解るでしょ? 『食事』よ」
変なことを聞くのね、と言いたげに返事を返すレミリア。
「そういう事を言いたいんじゃないわ! 第一、お姉様は私に咲夜をくれたんじゃなかったの?」
姉の態度に想うところがあるのか、フランは必死に食い下がる。
「そうだったんだけどね、ほら、よくあるじゃない。人にプレゼントしたはずのモノを急に惜しくなってしまう事。ああ、本当に残念ね、私達スカーレット姉妹、そろいもそろって咲夜をちゃんと愛してあげることができないなんて。虚弱体質の私じゃあ、どうがんばっても力不足だし。フランでは咲夜に触れるのも困難。限界まで力を抑えたとしても人間は儚いまでに脆い。ひょんな事で壊してしまいかねないものね。貴女が望もうと、望まないとに関わらず。そう考えると、父様のこと、馬鹿には出来ないわね。あの人はちゃんと母様を愛することが出来ていたのだから……。ほんとに、いつまでたっても私には敵わないわ」
そう言ってレミリアは自嘲気味に微笑んだ。その表情には些か影が濃く、咲夜にはレミリアが何か思い悩んでいると言うことが手に取るように解った。恐らく、その原因は咲夜にある。
「そんなことはないわ! 私だって、咲夜に触れる事ぐらいできるんだから!」
過去にフランは咲夜と遊んでいる際、力加減を間違えて半殺しにしてしまったことが幾度もあった。フランはびぃびぃ泣いて許しを請うた。そして、自分を責め続けた。
被害者であるはずの咲夜は、そのたびに逆に申し訳ない気持ちになっていた。自分が脆いばかりに、この無邪気な少女と思いっきり遊んでやることさえも出来ないなんて。
嗚呼、またフランには寂しい思いをさせてしまった、と。
椅子に腰掛けたまま陶酔醒めやらない様子の咲夜。
フランはその膝の上に乗って向き合う。
壊してしまわないようにそっと、咲夜の背中に手を回して抱きしめる。
作品名:『ごめんなさい。これが最後の愛し方だったから』 作家名:清明@