『ごめんなさい。これが最後の愛し方だったから』
だから、ファイは自分と似た境遇のフランに対して、彼女なりの想いを託しているのだろうか。フランが咲夜を喰らえば、その愛はもはや誰にも犯すことはできなくなる。それは絶対の真実。永久に咲夜を縛り、共に寄り添うことが叶う。姉から咲夜を奪うことも可能だ。咲夜の意志の有無も関係ない。一方的な奪う愛だ。
「でも!? でもぉ!」
それでも、フランは他人を犯す事を由とすることができなかった。
フランは救いようもないぐらいに優しい。それは誰よりも痛みを知っているからだ。
『貴女は495年間も、誰も居ない孤独な地下に幽閉されていたのだろう! そんな貴女が自由を唱えて、それを拒むモノが居るだろうか! 居るとするならそいつは本当に酷い奴だな。妖怪の本懐をねじ曲げた上、貴女にどれだけの孤独を植え付けたんだ?!』
「言わないで!」
それは自分の我が儘を正当化するための、汚い言い訳に過ぎないのだから。
やはり、このファイと名乗る少女は、フランの心の闇だ。
フランは闘うことを決意した。狂気に打ち克つために、自分の中に残された最後の愛を守るために。
『本当に大切なものはその手に握ったまま放しちゃ駄目。遠ざけて置いたら、いつか見失ってしまうから』
ファイは寂しげに呟く。どくん、とフランは胸を打つ感情を理解したくなかった。
今必要なのは『怒り』だ。心の闇と闘うにはそれを憎み、それに打ち克つ覚悟が必要なのだ。そう、自分を憎み、自分を壊すための戦いだ。フランは気狂いと云われているが、他人に対して怒りと云う感情を抱くことは殆ど無い。他人が自分に対して悪意を向けてくるのは、総て自分に非があるモノだと考えていたからだ。
言の葉に怒りを込めて叫ぶ。
「ならばどうすればいい! 私のこの手は総てを破壊してしまう! 総てだ! 何も残ってはくれない! この想いも! この願いも! この手の中に抱いたモノは総て消え逝く! 総て壊れて亡くなってしまうんだ!」
喉を枯らし叫ウ音色。
旋律は朱の虹となり、君屠る此ノ色彩。甘く深く色を放つ。
喉を枯らし叫ウ音色。赤キ雨に彩られたら。
綺麗な舞台の出来上がり。
――私独り其処で踊る。
フランは自分が壊れていくのがよく解った。だけど、止めることは出来ない。
咲夜の隣に、自分は居るべきではないのだ。
ならば、せめて、彼女を害するモノを取り払おう。
――この私を、壊そう。
蝙蝠の形をした無数の影が、どこからとも無く現れて、フランの手に収束していく。
悪魔の尻尾を象った杖を掲げてフランは狂々とした笑みを浮かべた。
「I wanna play with you once(貴女と遊んでみたいわ)」
フランは朗々と呟く。
『そうこなくちゃ』
フランとファイは互いに微笑み合う。正気ではない空気が辺りに充満していく。
気が付くとそこはフランの部屋ではなかった。
何もない唯広い空間。概念だけで形成された、夢と現の狭間。
闇と光。天と地。曖昧な境界の中、二人は力を解放していく。
先に動いたのはやはり、フランだった。
天井に出現した『地面』を足掛かりに突進する。
翼が目映いばかりの光を放ち、莫大な魔力がフランの体内を駆け巡る。
杖から放たれた夥しい数の光弾が、不規則な軌道を描きながら、一気呵成にファイへと襲いかかる。
一方のファイは構えるそぶりも見せず、靡く金髪をこれ見よがしに掻き上げる仕草をする。
ありとあらゆる存在を一撃で抹消してしまうような、神々しいまでの力の発露。だが、その攻撃の総てがファイに殺到する直前で消失してしまった。
その痕には空間そのものが円形に欠落してしまったかのような光景が残されていた。
闇。とびきりの濃度を誇る、魔界の深淵から湧き出て来たような闇が、全天に輝く星の数ほど放たれた弾幕を一つ残らず打ち消してしまっていた。
『どうした? それでも忌まわしき夜の血族の末裔なの? 遠矢で私は討ち取れないわよ』
ファイがその科白を吐き終えた瞬間、まるで一連の行動を嘲笑うかのように、彼女の首が胴から切り離されていた。切り口からは彼女を構成する闇が血液の如く、もうもうと吹き出している。
「Are you a fragile,baby? If so,I throw you away after use(あら、貴女とっても壊れやすいのね それじゃ使い捨てよ)」
呪詛を楽しげに口ずさむ。
フランが掲げた杖はその形を変容させていた。
収束した膨大な量の魔力を纏ったそれは、総てを斬り裂く刃。
フランが創り出した贋物の魔剣――レーヴァテイン。
虚仮威しの弾幕が無意味であることを瞬時に理解したフランは、妖怪の動体視力ですら捉えられない速度で距離を詰め、ファイの首を刎ねていた。愉悦に頬が弛みそうになるが、振るった魔剣に生じた違和感に気がつく。
(幻影?!)
瞬時に術式を逆算して解放式を弾き出す。瞬きをして幻術を解除したとき、フランの頭上に振り下ろされる質量があった。
とっさにレーヴァテインを翳してその斬撃を阻止する。
『はっぁ! お見事!』
嘲笑と共に賛辞を送るファイ。
その手には、巨大な剣が握られていた。十字架を象った断罪の刃。ファイの背丈を余裕で超越する大剣を軽々と振るう。レーヴァテインが纏った魔力の炎にも融解する事なく斬り結ぶ。
あれほどの質量をモノともせず、まるで剣舞のように軽やかに舞うファイ。
フランは持ち前の身体能力を生かして剣戟の合間を縫って反撃を紡ぎ出す。
しかし、魔剣の刃はファイの肉体に届く前に、噴出した闇に阻まれてしまう。
「Everything has the spot to be broken away(全てのモノには壊すための『目』があるの)」
フランは重力を操作してアクロバティックな戦闘を繰り広げる。慣性を無視して飛び交い、ファイの攻撃に先んじて対応する。翼の連なる魔石が煌々と閃光を放つ。多角的な物理演算を必要とする事象介入魔法は非常に負荷が高い。だが、そんなものはこの素敵な遊びの妨げにもならない。フランにとっての『地面』が目まぐるしく変移していく。発生した重力面に足の裏を付ける。壁に降り立ってファイの斜め上方からレヴァーテインを斬り下ろした。
もはやこの世界では空間も物理事象もフランの意の儘であった。
ファイは無造作に十字剣を振り上げて、フランの一閃を払い落とす。
『その程度なの! 吸血鬼始祖の力は! 破壊の申し子の力は! 足りないわ! 私をもっと愉しませて頂戴!more and more and more!!(もっと! もっと! もっと!)』
その長い金髪を振り乱してファイは叫ぶ。何が彼女達を戦いに駆り立てているのだろうか。狂々とした戦闘の中、二人斬り結ぶ。もう、お互いに一人ではないはずなのに。何処までも独りだった。
ファイも、フランも、目の前の敵を見ていない。充足など得られない。この止めどなく溢れる『愛』の吐け口を見失っている。ファイは思い返す。既に失ってしまったその感情の向かう先を。フランはまだ一度も見たことはない。その想いが届く場所を。
作品名:『ごめんなさい。これが最後の愛し方だったから』 作家名:清明@