あなたと見つけた大きな夢
魔物が港に侵入してきた。それだけでふたりは状況を把握し瞬時に入り口へと駆けだした。
自分たちとは逆方向へ逃げまどう人々。そちらへ逃げても、誰かが入り口で魔物たちをなんとかしなければ、やがて逃げ場はなくなることは誰の目から見ても一目瞭然。しかしこの混乱では、そこまで考える余裕は誰一人としてなかった。
そうして港へ着いたふたりは、あまりの光景に絶句した。ワーウルフと呼ばれる、オオカミのような姿をした魔物。それが港を闊歩していたのだ。
唯一の救いは、その数が十体程度だということ。これが数十体でもいるようならば、よもや二人だけでは退けられないであろう。この程度の数ならば、ふたりだけでもなんとかできるはずだ。
しかしワーウルフは魔物の中でも屈指の素早さを持つ。下手に踏み込めば、返り討ちにあうのは必至。しかし今戦えるのは、セネルとクロエしかいない。
――もう、やるしかない。
そう悟ったセネルはクロエの方を向いた。どうやら彼女も考えていることは同じだったらしい。瞳がそう語っていた。
「クロエ!いくぞ!」
「ああ!もちろんだ!」
そのセネルの声を合図に、ふたりは臆することなく魔物の群れへと突っ込んでいった。
セネルは体術を使う。しかし素早いワーウルフの動きには目で追うのがやっと。これでは近づくことさえも容易ではない。そこでクロエの出番となる。彼女は騎士だ。ゆえに得物は剣。セネルのちからを温存するために、クロエがある程度敵を弱らせる必要がある。
クロエの得意とするのは突き。秋散雨や霧散雨などの技に関しては、右に出る者はそうそういないであろう。
ワーウルフがクロエへと突進してきた。クロエは華麗な身のこなしでそれを避けると、隙だらけの敵の背後へと剣を突き出した。辺り中にけたたましい叫び声が響き渡る。
クロエは敵の攻撃を避けながら、すれ違いざまに斬りつける。そしてクロエの剣に弱ったところに狙いをつけ、セネルは得意の体術で確実に倒しにいく。それは見る者を圧倒させるかのような鮮やかな戦いざまだった。
息の合った見事な連係プレー。幾度となくともに死線をくぐり抜けてきた仲間だからこそ、互いを信頼しているからこそ、それは可能になる。
そのときだった。ふと、小さな足音が聞こえた。ふたりがその音の方を振り向くと、まだ十歳にも満たないであろう少女が立ちつくしていた。親とはぐれてしまったのだろうか。少女はその翡翠の瞳を潤ませながら、遠目でもわかるほどに震えていた。
そしてその少女に気づいたワーウルフは、標的をふたりから少女に換え、鋭い牙を剥き、襲いかかった。
「危ないっ!」
瞬時に少女へと駆け出すふたり。しかしワーウルフには追いつけない。それほどの瞬発力と持久力が備わっているのだ。
「......くそっ!」
怯えきってしまった少女は、恐怖のあまり立ちつくすばかり。そしてぐんぐん少女との距離を縮めていくワーウルフ。クロエは小さく悪態をつき、愛用の剣をワーウルフへと投げつけた。
もう走っても間に合わないと判断した彼女は正しかった。クロエの放ったそれは、ワーウルフが少女にたどり着く前に見事その背中へ深々と刺さった。
苦しそうなうめき声を上げながらその身体を横たわらせるワーウルフ。その隙に、セネルが少女を保護することに成功した。
「大丈夫か?」
助かったというのに未だ震える少女に向かい、クロエは柔らかく微笑んだ。
「もう、大丈夫。私たちがついているから」
優しく暖かなクロエの言葉に、少女の涙は止まった。そして少しだけ安堵したような表情で、一度だけ頷いた。もう、大丈夫だ。
ふたりは倒れ込んだワーウルフへと視線を戻す。セネルが自らの背後に少女を隠し、ワーウルフを睨みつける。対するワーウルフの方は先ほどのクロエの一撃で弱りきっていた。しかしここで情けをかけてはいけない。手負いの魔物ほど怖いものはないからだ。
しかしクロエの剣は未だワーウルフに刺さったまま。これではクロエは攻撃ができない。
そう悟ったセネルは、素早くワーウルフに駆け寄り、とどめの一撃をお見舞いした。最期の叫び声を上げ、ワーウルフは息絶えた。それを見届けると、セネルはその死体からクロエの剣を抜き取った。
「やったな、クロエ」
「クーリッジこそ。今の戦いはなかなかだったと思うぞ」
顔を向かい合わせ、微笑みあうふたり。と、そこへ必死の形相を浮かべて走ってくるひとりの女性の姿が見えた。
髪が風で顔にへばりつくことすらかまわずに、一心不乱に駆けてくる。見ているセネルたちにさえ、その必死さが伝わるほどに。と、その女性の姿を見つけた少女の瞳がきらきらと輝いた。
「ママ!」
どうやらその女性は少女の母親らしい。涙ながらに強く抱擁を交わす母子。我が子が生きてくれていた。母親が自分を迎えに来てくれた。
互いに微笑みながら抱き合うその様子を、クロエは寂しそうに見つめていた。もう自分には、自分を抱きしめてくれる親はいないから。セネルはそんなクロエの姿を、何も言わずただ見ていることしか出来なかった。
「娘を助けていただいて......本当にありがとうございます!」
少女の母親が何度も何度も頭を下げる姿を見て、思わず困惑するセネルとクロエ。自分たちは自分たちのすべきことをやっただけで、お礼を言われるようなことをしたわけではない。ふたりはそう告げたのだが。
「いえ!助けていただけただけで......この子を助けていただいただけで、私はとても嬉しかったんですから」
そう言われてしまうと、もはや何も言えなくなる。
ふたりが顔を合わせて苦笑していると、母親の隣に立っていた少女がクロエに向かって歩み寄った。そして自分の腕に抱えていたウサギのぬいぐるみを彼女に差し出した。クロエはその切れ長の瞳を丸くする。
「お姉ちゃん、助けてくれてありがとう!お礼にこれあげる!」
そう言って、にこりと笑う少女。その瞳には濁りがなく、まるで輝く宝石のようだった。穢れを知らない、純粋で無垢なまなざし。
クロエは少々戸惑ったが、この少女の気持ちを無下に扱いたくはない。そう思い、彼女は少女からぬいぐるみを受け取った。
「ありがとう。ずっと大事にするから」
「うんっ!大事にしてね、お姉ちゃん」
そのクロエの言葉に少女は満足そうな笑顔を浮かべて頷いた。そして少女は母親に連れられ、その場を去った。去り際に少女の母親が振り向き、ふたりに向かって会釈をしたのが印象に残った。
ワーウルフの脅威が去り、徐々に落ち着きを取り戻しつつある港町。ふたりは予定していた船に乗り、その光景を眺めていた。と、セネルがクロエの方に視線を移すと、彼女は先ほど少女から渡されたぬいぐるみをまじまじと見つめていて。そのまなざしは柔らかく、穏やかだった。
「クロエ?どうした?」
セネルが声を掛けるとやっと彼女は彼が己を見ていることに気づいたようだった。彼女は腕の中のぬいぐるみを大切そうに抱いて言った。
「......あの子、ガドリアの子だったんだ」
「え?」
作品名:あなたと見つけた大きな夢 作家名:架月るりあ