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架月るりあ
架月るりあ
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希望に満ちた未来を信じて

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 嗚咽を押しこらえ、震える彼の肩を、強く抱きしめるプリエ。ふたりを包む陽光は、まるでアルエットからの贈り物のよう。いや、まるで暖かく優しいアルエットそのものだった。

「……アルエットさん、俺は」

 ふと、クロワが言葉をこぼした。涙を含んだ声音。しかしプリエが彼の顔をのぞき込むと、彼の瞳は強い光を宿していた。そこには迷いなど、微塵も感じられなかった。

「俺はもう絶対に、二度とひとを殺めることはしない。この銃に誓う」

 そう言うと、クロワは愛用していた二挺の銃を陽にかざし、アルエットの墓前に置いた。その銃は、闇の王子としてアルエットと戦う前から持っていたもので、彼の唯一の武器であった。

「……いいの?」

 ためらいがちにそう尋ねるプリエに、クロワは何も言わず、ただ薄く微笑んだ。悲しみを秘めながらも、とても柔らかな笑みだった。それを見たプリエは、かける言葉を失った。まるで、これ以上何も聞くなと言われたようで。そんな顔をされては、何も言えない。
 プリエはクロワのコートの裾を少しだけ握り、唇をかみしめながら家路に就いた。







 家へと向かうその間、プリエは機嫌を損ねていた。通りかかる主婦や若い女性、果ては十歳に満たない子供ですらも、クロワを露骨に避けていく。彼の前には人っ子ひとりいない。彼を怯えるような仕草で避けていく人々。その光景に、プリエはひどく憤りを感じていた。

 彼がかつての闇の王子だという事実が、街まで広がってしまったらしい。どこの誰が発信源なのかまではわからないが、そのせいでクロワは大変な目に遭ってきた。
 突然喧嘩をふっかけられたり、闇の王子だということを口にしながら石を投げられたりもした。
 彼は人間として生き続けることを選んだ。過去の大きな罪を一生背負うことを選んだ。それなのに、なぜ彼はこうも哀しい目に遭ってばかりなのか。
 そしてとうとうプリエの堪忍袋の緒が切れた。彼を恐怖の目で見ていた人々に殴りかかろうとした瞬間、彼女の腕は何者かの腕に掴まれていた。後ろを振り向くと、クロワが穏やかな笑みを浮かべて首を横に振っていた。それはまるで、その人たちを責めるな、と言っているように見えて。
 自分がここで暴れてしまえば、余計にクロワの立場を悪くすることにも繋がってしまう。そう気づいたプリエは、上げかけていた拳を下ろし、唇を強く噛みしめた。血が滲むほど、強く。口内に鉄の味が広がる。

「お、おい、血が出てるぞ」

 慌てたクロワがハンカチを出そうとしたそのときだった。前方からひとの叫び声が聞こえた。その声に、ふたりはすぐさま目を凝らし、耳を澄ませる。すると叫び声が聞こえた方向に大きな人だかりが見えた。しかも、その様子は尋常ではなかった。
頭を抱えて途方に暮れている者、慌ててバケツを両手に抱えて走る者、近隣の家から消化器を出してこようとする者。慌ててふたりが駆け寄ると、そこには地獄のような光景が広がっていた。

 家が、燃えていた。

 業火のごとくうねり広がる炎。それは家の全体を飲み込み、代わりにどす黒い煙をもくもくと吐き出している。消防車を呼ぼうにも、この細い路地に大きなそれが入ってくるのは困難だ。
 何も出来ずにただただ家が崩壊していく様を見ているしかなかったふたり。しかし、クロワがふと視線を家から外すと、野次馬の中心で地に座り込み、手で顔を隠しながら泣いている女性の姿を見つけた。
 周りの人々が彼女をなだめようとしているようだが、女性にはその言葉すら届いていないようで。
 なぜだか放っておけなくなったクロワは、ひとの間を掻き分けながら女性のもとへと向かった。それに気づいたプリエも、必死にクロワの後を追った。

「どうか、したんですか」

 クロワがその女性へ話しかけると、彼女は顔を隠していた手をゆっくり下ろし、クロワの方を見上げたが。

「あ、あなたは……や、闇の……!」

 怯えられた。やはりどこへ行っても、同じ反応しか返ってこない。怯えられるか、罵られるかのどちらかの。

「何かあったんですか?」

 それでも、クロワは諦めない。いくら怯えられたとしても、いくら罵られたとしても、彼女の涙を止めたいと心から思ったのだから。

「……わ、わたしの息子が……まだ家の中なんです」

 クロワもプリエも、その言葉に思わず息を呑んだ。このすさまじい勢いの炎の中に、まだ幼い子供が残されているなんて。

 火の勢いが強すぎて、誰も家の中に入ろうとする者はいなかった。――ある人物を除いては。
 クロワはその言葉を聞くと驚くのもそこそこに、すぐに行動を開始した。彼はこの近くの住民がしていたバケツリレーのバケツで頭から水を被り、炎の中に飛び込んでいった。

「クロワ!」

 プリエが心配そうに彼の名を呼ぶと、彼はふいと振り返り、にかっと陽気な笑顔を見せた。そして、声は出さずに唇だけを動かした。『大丈夫さ』プリエは読心術を心得ているわけではないが、彼女には彼がそう言ったような気がしてならなかった。なかば確信めいた、推測。

「あ、あの方は……?」

涙を浮かべながらプリエにそう尋ねる母親。プリエは柔らかな笑顔を浮かべ、彼女に言った。優しく暖かい、聖母のような声色で。

「大丈夫。あの人ならきっと、息子さんを連れて戻ってきてくれるから」

信じて……待ちましょう?そう言うと、女性はこくりと頷いた。しかしプリエは聞いていた。周りからのクロワへの罵倒の声を。

「あいつ、例の闇の王子だろ?」

「きっと子供を助けるふりして、食う気なんだぜ」

「ひゃー、怖い怖い」

聞いていると腹が立って今にも殴りかかりたい衝動に駆られたが、そこはぐっと我慢する。きっと、クロワがいたならばそうしたと思うから。だから、今は彼を信じて待つしかない。

(クロワ……お願い。無事に帰ってきて……)




「おーい!誰かいるか!」

家の中に入るやいなや、クロワは大声を張り上げる。一階はもう火の海と化していた。煙が目に入ったのか、目がひどく痛む。そのうえ、身動きがまるで取れない。ゆく場所ゆく場所に炎の壁が立ちふさがり、通りたくても通れない場所が多々存在している。
炎は、この家をすべて焼き尽くすかの勢いだ。
ぱちぱちと木が燃える音が耳に響く。ここに長居してしまえば、一酸化炭素中毒や焼けて死んでしまいかねない。事は一刻を争うのだ。
先ほどプリエに渡そうと思っていたハンカチを口に当て、姿勢を出来るだけ低くしながら捜索を進める。
一階で捜索可能な場所は、もう一通り探した。それでも人っ子ひとり見つからない。とすれば、残るは。

「ちっ……上か」

 クロワはそう悪態をつくなり、階段めがけて駆けた。
 階段はすぐ見つかった。尋常ではないスピードで駆け上がりながら、クロワの心は焦りでいっぱいだった。探し人は、自分の目の前にいるかもしれないというのに、それでも助けられなかったら。自分では誰も守れないということなのか。そんなのは、嫌だった。

「おーい、無事か!」

 そう叫びながら、ドアを蹴り倒し、部屋という部屋を片っ端からまわり、最後のドアまで辿りついた。

(無事にいてくれよ……)