花と桃と紺碧
女カに襟元を掴まれたままでありながらも、伏犠はここ一番の笑顔を左近へと向ける。
「安心せい。ここに来たのは正真正銘お主の意志じゃ」
頭を抱えたまま上目にそれを見てしまえば、左近は深々とため息を吐いて。
「…それがもの凄い屈辱だって言ってんですよ…」
「…まあ、その。…元気を出せ、左近」
あまりに憐れすぎたのか、女カが伏犠の首元から手を離して今度は左近の肩を軽く叩く。
励まされて逆に左近の方が驚いて顔を上げる。
「だまし討ちのようだったとはいえ仙桃を食ってしまった以上は帰すわけにはいかん。暫くはここにいてもらうことになる。…短い付き合いになるかもしれんが、私はお前を歓迎しよう」
「…これはこれは…貴方のような美しい方からそう言ってもらえたとあれば、苦労してここまで来た甲斐がありましたよ。怪我の功名ってやつですかね。この島左近、いつでも貴方のお側におりますよ?」
先ほどまでの荒れた様子から一転し、本能のままに女カの手を取らんばかりの勢いで身を乗り出す左近に、伏犠の眉間にあからさまに皺が寄る。
「…左近」
「………ほう。これは面白い事になってきたな。…良いぞ、左近。今度はお前とゆっくりと茶でも飲み交わしたいものだ」
常日頃はのらりくらりと相手を躱す伏犠の珍しい表情に女カは驚いた後、面白げに笑って左近へと顔を寄せ、その頬を人差し指でつい、と撫でて言い。
「いつでも歓迎させて頂きますよ。茶ではなく、酒でも構いませんがね?」
「もういいじゃろ。帰れ女カ」
「おやおや。伏犠ともあろう者が随分と器が小さくなったものよ」
「まったくですねえ」
「…左近。お主は後で覚えておれ」
「俺だけですか!?」
「当然じゃ。時間は有り余っとるでのう。お主の選んだ相手のことをじっくりわからせてやらねばなるまい」
足を崩してにじり寄る伏犠に左近は思わず座ったまま後退りをして。
「…いや、もう十分思い知ったんで勘弁してくださ…」
「問答無用、じゃな」
「ちょっ…!女カさん!助けて下さいよ…!」
じりじりと迫り来る伏犠に壁際に追い詰められながら必死に助けを求めるものの、女カはその様子を楽しげに眺めて立ち上がり。
「人界では人の恋路を邪魔した者は馬に蹴られるのだろう?御免被る。ならば私はこれで帰るが、伏犠。人払いはちゃんとしておけ。かぐやや坊やには教育上宜しくないからな」
「おうわかった」
「教育上宜しくないことする気満々ですかあんた!?」
左近の叫びも虚しく、女カは見てられないなと言わんばかりの笑みを残してその場に光を集めた後にふっと姿を消してしまう。
そこは仙界、三皇が一人伏犠の庵。
それからというものその庵の周囲は陽が燦々と降り注ぎ、美しい花が咲き誇っていたという。
作品名:花と桃と紺碧 作家名:諸星JIN(旧:mo6)