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2 Years After -梯子をひとつ-

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 くだらない見栄とか虚勢を張ってしまう子供たちのことを全部承知だといわんばかりの笑みに、赤くなる顔を止められない。この人は誰よりも大人で、誰よりも自然に自分を受け入れている。
 あのときから、この人を心から支えようと思った。陰陽どちらの術も学ぶ忍術学園六年分の知識を得ることない人であっても、いずれ陽忍として働くだろうタカ丸が困ることがないように。
「どうしましたか、タカ丸さん」
 喜八郎のトラップを避け、彼の側に立つ。それを待ち構えていた人は、自分が避けた場所をまじまじと見て、ああ、と声を上げる。
「もしかして、あの小さな黒い塊がそう?」
「ええ。今回はかなり目立つようにつけていますから、後で見ておくといいですよ。見慣れると、わかるようになりますから」
「うん、そうするよ」
 ニッコリと笑って、ありがとうと礼を言う。この人の笑顔はとても自然で、こちらまでつられて笑みが浮かぶ。
 一年は組の福富しんべヱがそうであるように、タカ丸もまた、人の警戒心を簡単に解くなにかがある。これではいけないと表情を引き締めると、軽く咳払う。
「ところで……なにかありましたか?」
「あ、うん。学園長先生が、呼んでるよ。直ぐに学園長室へ来るようにって」
 その言葉に、なんとも嫌な予感がするのは、忍たまの基本。あの学園長先生の思いつきでひどい目に遭うことは日常茶飯事だから。
 よほどげんなりしていたのだろう、タカ丸が同情的に肩をぽんと叩いた。

「学園長先生。平滝夜叉丸です」
「おお、待っておった。入ってよいぞ」
 学園内の片隅にある庵を尋ねると、好々爺の声が返ってくる。失礼しますと一声かけて入室し、上座に座る人に頭を下げる。
「お前に、文が届いておる。わし宛にもな」
 ほら、と差し出されるのは、まだ折り目がきっちりとした未開封のそれ。表書きには滝夜叉丸の名が記されているが、この手には見覚えがある。
「……平の家から、なんと言ってきたのでしょうか」
 ざわりと嫌なものが背中を駆け上がる。受け取りたくないと畳の上に置かれた文を見つめれば、かさりと文を開く音がする。
「わし宛には、お前を早めに平の家に戻してもらうという連絡じゃい。ニ、三日中に迎えを寄越すそうじゃ」
 あと二週間もすれば、忍術学園は補習のある組を除いて夏休みに入る。それが少し早まったところで困る滝夜叉丸ではないけれど、何故そんなことをするのか。家に早く呼び戻すだけなら、そう命じるだけでわざわざ迎えなど寄越す必要もない。
「……多少、京のあたりは物騒になっているようじゃの」
 普段はどうしようもなくても、そこは方々に強烈な影響力を持っている人だ。情報ぐらい簡単に手に入るのだろう。こちらの疑問を解くような独り言に、そうですかと頷く。
「帰ってもよろしいのですか?」
「家の事情で息子を帰すように言われてはのぅ。平の家は危険ではないから、送り出そう」
 はっきりと裏に意味を込めての会話。平の家が危険ならば、帰さないということか。黙って聞いていれば、開いているのかどうか怪しい細い目がきらりと光る。
「学園の規則を覚えているな?」
 この人が、かつて天才忍者と呼ばれていた実力者であったことを髣髴させる声。腹の中まで掴まれたように、下げたままの首筋から冷や汗が伝う。
「………実習外での戦忍活動は一切禁じる」
「そうじゃ。お前はまだ忍術学園の生徒。休み期間中とはいえ、平の忍びとして動いてはいかんぞ?」
 わかったら下がってよい。そういつもの調子に戻した途端、頭上に圧し掛かっていた重石が不意に取れる。潜めて息を吐くと、一礼して自分宛に書状を胸に収めて退出する。
 気に呑まれるなんて、めったにないこと。庵を離れて大きく息を吐けば、どっと汗が吹き出す。
「化け物か、あの人は……」
 いつもはたいした力もないような、本当にとぼけた人なのに。汗を拭うと、かさり胸元で文が己の存在を主張する。
 学園長は自らのネットワークで平の家に危険――つまりは戦の気配――がないと判断したのだろう。だが、そんなに簡単なものなのか。この文の筆跡は、滝夜叉丸を育てた忍頭のもの。わざわざ休みを切り上げさせるのも、わざわざ文を送るのも、本当にありえない異常なことだ。
 木陰に移動して、一息ついて文を開く。そこには簡単に、数日後に女が迎えに行くこと。女の指示に従うことが記されている。そして最後に一言。
「…………春の手ほどきを思い出されよ、若には期待している。か」
 たしかにこれは戦ではない。厳密には戦忍の忍務ではない。だが、平の忍務には違いない。
 きっとこの文を学園長に渡せば、なにかしらの便宜をはかってくれるかもしれない。だがそれは平の家に対する裏切り行為にもなる。
 試されているのだ――。熱を持つ瞳を閉じ、思う。
 平の家を出てこの学園で自由を知った子供に対する、平への忠誠心。犬としての覚悟。わざと学園長から文を渡させて、それで滝夜叉丸の反応を測っている。
 あまりに悔しくて、閉じた瞼から涙が溢れ出る。
 疑われたことが悔しくて、理不尽な命が辛くて、こんな風に動揺する自分が嫌で。たまらず、ひざを抱えてうずくまる。泣いたところで、なんの答えも出ないとわかっているのに、涙が止まらない。
 せてめこの感情が落ち着くまで、どうか誰もここを通りませんように。
 幸いこの周囲は学園長の庵が近いせいもあって、忍たまはあまり近寄らない。なのに、こういうときにかぎって邪魔が入る。
「――滝夜叉丸君?」
 控えめにかけられる声は、ここに来る前に聞いていた人のもの。たまらず、間が悪いと怒鳴り散らしてやりたい。
「……見ないで、ください。醜い顔をしているので」
 鼻を啜ると、顔を上げないまま応える。震える声のせいで、泣いているのはバレバレだろう。
「うん。わかったよ」
 こんなとき、ライバルである田村三木ヱ門ならば、動揺して慌て騒ぐだろう。喜八郎ならば最初から声などかけてこない。タカ丸は、あっさり了解したけれど幹の反対側に腰を下ろす。音と気配を消す気がないから、丸わかりだ。
 顔は見ない。でも、立ち去らない。
 それはやっぱり大人の対応なんだろう。頭巾を外すと、乱暴に顔を拭う。
 こういうとき、彼の優しさは嬉しくない。まるで傷に塩を塗られているように、痛みが増すばかり。優しさは時としてなによりも鋭い刃物となる。なのに、どこかの部分で彼の気遣いが嬉しいと思っている自分の弱さに吐き気がする。
「……タカ丸さんは」
 振り払うように顔を上げる。背後から少し身じろぐ気配がする。
「うん?」
「タカ丸さんは、嫌な客が髪結いに来たときはどうしていました?」
 聞いてどうするのだという問い。肯定してもらいたいのか、それとも否定が欲しいのか。
 他人に判断を押し付けるなんて情けないけれど、考えることを拒絶したがっている頭は、人の優しさにつけ入ろうと手を伸ばす。
「ん〜、どうもしないよ。いつも通り、結ってた。手も抜かないけどサービスもしない」
 さらりとごく自然な音で返される声は、そんなどろりとした感情を綺麗に跳ね除けた。
「……いつも、通り」
「うん。それが仕事だからね。お金だっていただくわけだし、その分きっちり結うのがプロの仕事」