ポロン
「はぁ?なんで俺がお前に付合わなくちゃならないんだよ」
会議が終わったあと、イギリスの肩に腕をのせながら話あけるフランス。なんてことはない、いつもの光景。あの飲んだくれを世話するのは自分だとわかっていながら、フランスもよく相手をするなぁと毎度感心する。
「アメリカもどうだぁ、お兄さんが奢ってやるから」
「こいつじゃ酒の相手にならねーよ、やめとけやめとけ」
その一言が、この癖の始まりだった。未だに子供だと、馬鹿にされたことへなのか。自分よりフランスを選んだことからなのかわからない。
「俺も飲んだくれの君の相手をするのは疲れるからね。遠慮していくよ」
「あんだとてめぇええええ」
イギリスに嫌みを言っても収まらない。この行き場をなくした憤りは、どこに発散させればいい。苛つきは収まらないまま、アメリカはあの家に戻った。とりあえず有るものを腹に放り込んでみても、ゲームをしてもいっこうに収まらない。
そんなとき、目の端でとらえたのはピアノだった。そっと鍵盤に指をのせると、優しく音がなる。慰められているようだ。思いつくがままにピアノを弾いた。憤りから生まれたエネルギーはピアノへを注がれ、結果気持ちを落ち着けることとなった。
それから、何かあるたびにアメリカはピアノを引き続けた。誰のためなのか、その問いは心の奥にしまい込んで無心で弾き続けた。
ピアノを弾き続けて、思い出す楽しい日々。優しく教えてくれるイギリス、笑顔を向けて頭をなでてくれる君。
「これじゃあ、まるで」
ピアノを弾いて、昔を恋い焦がれているようじゃないか。
指を止めてアメリカはそう気付く。昔を恋い焦がれるのはイギリスだけで十分だ。何のために独立したんだ。そう考えると急に羞恥の心が芽生えてきた。結局のところ、どこかイギリスを意識してしまう自分を認めざるをえなかったのだ。
これは、好きだと。そういうことなんだろうか。
思えば、ピアノを弾きにくる理由はいつだってイギリスだ。
「あぁ、なんてこった」
顔がかっと、あつくなっていく。頬を両手で包み込んでもその手の体温によってさらに熱を増すばかり。一人でよかった。こんな姿を誰かにみられちゃたまらない。
「アメリカ」
時間よ止まれと、この瞬間ほど願ったことはないだろうとアメリカは後に思うことになる。どうして一番会いたくなかった人が、今目の前にいるのだろうか。
「い、い、いぎり…き、君なんで」
「いや、その。昨日の会議の書類のことで、それより」
ピアノ。イギリスからその言葉が紡がれ、アメリカの肩が大きくはねる。聞かれていた。なんて言われるのか、ヘタクソとくるか。嫌みでもいってくるか。さぁ、何でもこいとアメリカが意を決した時だった。
「お前、うまくなったな」
柔らかい笑顔。イギリスはアメリカの横にたって鍵盤をひとつ、指でおす。ポロン、と音が静かな部屋のなかに響く。
「いつから」
聞いてたんだい。アメリカの訊ねたいことがわかっているかのようにイギリスは「ラ・カンパネラからかな」と答える。「それって、殆ど最初に近いじゃないか」
ふぅ。と、ため息をついてアメリカは立ち上がる。頭をかきむしゃりながらソファへと腰掛けた。気が抜けてしまって恥ずかしさも苛つきもどこかに吹っ飛んでしまったらしい。
「なぁ、アメリカ」
「なんだい」
イギリスの声に、アメリカが返事を返すと。イギリスはピアノの視線を向けたまま、黙りこくる。何なんだとアメリカが言う前に『なんでもない』とイギリスが苦笑いを浮かべた。
「なんか、気になるぞ。そこで切られると」
「本当に対したことじゃないんだよ。これ、自分で調律したのか?」
イギリスが話題をそらそうとしているのは明白だった。だからアメリカもそれ以上追求することもなく、まさか。と答えるのだった。
「だろうな。調律なんてデリケートなこと、お前に出来るとは思えない」
はいはい。どうせ俺はガサツですよ。つん、とアメリカはイギリスにそっぽを向いた。イギリスに自分の苦悩なんてわかるはずがない、わかってもらおうとだって思わないさ。
♪
「これ」
「わかるか」
振り返ると、イギリスがいつの間にかピアノの前に座っていた。指を鍵盤に置き、ぴんとのばされた姿勢のイギリスはそう。カッコいいと言うんだろう。
「イギリスが、いつも弾いてくれた」
「タイトルは『妖精の国』っていって、ラヴェルの…本来は連弾の組曲のなかの一曲なんだ」
大きくなったら、一緒に弾きたいって思ってたんだ。イギリスはとても穏やかな表情でピアノに視線を向けている。幼いアメリカと連弾してる姿でも想像したのだろうか。そう考えて一瞬ムッと顔をしかめたが、すぐにそんな意識も奥底へと消えていった。ゆったりとした曲調は、アメリカの心にしみこみ。幼い頃を思い起こさせる。
子守唄代わりに、いつもこれを聞いていた。イギリスの膝にのって、イギリスがピアノを弾いてくれて。その音色に耳を傾け、ゆっくりと意識が沈んでいった。
目が覚めると、ふかふかのベッドの上。暖かい日差しの差し込んだ部屋で。たったひとりだった。
机の上には、おせっかいにも作りおいていったのだろう朝ご飯と。ごめんな、という書き置き。イギリスが忙しいのはわかっている。誰のせいなのかも知っている。
布団も、日差しも暖かいのに。心は、どこか冷えて。眠りにつくのが怖くなって。
「そう、イギリスに駄々をこねたんだ」
「帰らないでってやつか?あれは、俺も胸が痛かったぞ」
気付くといつも腕のなかで寝息を立てていたアメリカ。刻一刻と戻らねばならない時間が近づいてくる。一人残して行くのはいつだって心が痛んだ。
「ごめんな、アメリカ」
布団にその体を寝かせて、そっと頭をなでる。起きると、自分はここにはいない。そっとその場を離れようとする時につかまれた指がいっそう行くのを躊躇わせる。
「ごめん、ごめんな」
そういうことしか出来なくて。そっと、その手を離した。
「悪かったと、思ってるよ」
「別に、俺だってイギリスが忙しいって知ってたし」
沈黙が流れた。正直、こういう空気は好きじゃない。何か別の話題を切り出さねば、考えても考えても。うまく言葉が見つからない。
「アメリカ」
音が鳴り止んで、イギリスがアメリカの名前を呼ぶ。その声によって思考は停止を告げ、そして視線は自然とイギリスの方を向いた。
「何か弾いてくれよ」
「え、い、いやだぞ。恥ずかしい!」
ぶんぶんと首をふった。
「なんだよ、さっき散々弾いてたじゃないか。昔よりも全然うまくなってるし、恥ずかしがることなんかないだろ」
「恥ずかしいんだよ!さっきは誰かが聞いてるなんて思ってもいなかったんだから!」
ましてや君が聞いてるなんてね!と、言ってやりたいと思った。こんなことになるなんて、本当に誤算だったと思う。大きくため息をつくと、イギリスが先ほどのアメリカのように不機嫌そうな表情を浮かべた。おそらく、ため息が気に障ったのだろう。
「何かいいたけだな」
「何も言うことはないさ」
「いつからだ」