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ゆびさきのゆくさき

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「アニキ、アニキってば、」
揺さぶった肩は案外広かった。ううん、と返事にもならない返事が微かに聞こえて、夢心地な所を本当に申し訳ないと思いながらももう一度揺さぶる。本当はこんなこと許されるような立場でないことは十分承知していた。何もしらないラルクに対して自分の本来の立場を棚に上げて頼るだなんて卑怯なことだと知りながら、それでも頼る先はいつもラルクだった。
「ニコルか…煩い」
呂律の回りきっていない返事を適当に流して、よし、とニコルは心を決める。
「アニキ、オレも一緒に寝ていいッスか?」
「…勝手にしろ」
ふうと安堵の溜息を漏らす。ラルクはそのまま再び眠ってしまったらしい。怒られなくて良かった、などとニコルは勝手に安心する。これで朝忘れていてくれたならもっといいのに、なんて都合の良い希望を抱く。ごろごろとちいさく鳴った雷に思い出したように怯えて、失礼しますと小さく挨拶をして慌ててラルクのベッドに潜り込んだ。
想像以上に暖かい布団にじんわりと心が暖まる。それでもニコルがラルクに触れる事はない。それだけは許されないような気がした。結果としてラルクを裏切ってしまっているニコルにとって、それだけは許されないと思っていた。
ラルクは優しい。ニコルを真っ向から否定しないから。逃げる事を怒るけれど、咎めるけれど拒絶することはない。呆れるけれど、茶化すけれど、心底馬鹿にすることはない。何より他人から悪い面ばかりを叱咤されるニコルにとって、自分を認めてくれている人がいることの嬉しさは筆舌に尽くしがたい。第一、今まで自分に下心もなく笑いかけてくれた人をニコルは他に知らない。
そしてそれを心地良い、と気付いてしまったのはつい最近のことだった。災厄ばかり降りかかると思っていたラルクの隣は、意外に暖かい。
けれどそれはニコルにとってとても残酷だった。差し向けられる僅かな信頼も、期待も、ニコルには純粋であればあるほど痛い。痛みからは全て背を向けてきたニコルだって、こんなに甘い痛みがあるとは思いもしなかったのだ。痛みは全て嫌なものだと思っていた。嫌なものを感じ取った時はいつも気がつけば走り出していた。逃げたなんて自覚はなかった。走りきって立ち止まってみたらそこが後ろだっただけなのだ。それだけのことなのだと、思っていた。それなのに、それなのに。今、ラルクを頼っている自分が向かっているのはどちらなのだろう。前後を、知らない。
どおん、と。ニコルの思考を断ち切るように轟音が響く。耳元を押さえる事を忘れたまま行き場を失っていたゆびさきは、反射的にそばにあるものに触れてしまった。なにかの布を隔ててじんわりと伝わってくる温度にそれがラルクの背中であることを知る。ああ触れてしまった、と思った時にはもう遅かった。どうしよう、とても暖かい。胸が痛いのは恐怖からなのか警鐘なのかもはや判別がつかない。どちらも沈んでくれたらいいのに、と思ってしまった。思ってしまった刹那にはもうニコルの額がラルクの背中に触れていた。布越しに伝わる温度はニコルの恐怖心をじわじわ内側から溶かしていく。その温度を、その心地よさを味わってしまえばそこから離れられなくなってしまうと知っていたのに。ニコルは卑怯だ。ただでさえ押しかけてしまったのに、それ以上頼ってしまったことを知られたくないからとわざと寝ているラルクに側にいても良いかお願いするし、ラルクの期待に応えることができないとわかっていて離れられない。
ごめんアニキ、と呟いた言葉は届いただろうか。わからない。
触れた服の裾をぎゅ、と掴む。行く先を失ったゆびさきがこれ以上、触れてしまわないように。

作品名:ゆびさきのゆくさき 作家名:えの