さよならのじかん 1
ヨーデルの作戦に頷いた一同は、すぐに出立するため各々準備をしていた。
明日、早朝に市民街の出口で。フレンも準備のために自室へと戻ってきていた。そして考えていたのだ。最期に会った、彼女のことを。
「……彼女は、僕の親友です。いえ、それ以上…半身、みたいにとても大切な存在なんです」
色々と考えていて、自分でもよく考えていた。
自分にとってユーリはどんな存在なんだと。
「半身…か。じゃあなんで、そんな冷静なの?」
「冷静……?」
「そ。フレンちゃん、すっごい冷静。怖いくらいにね」
それこそ何も感じていないようだ、と目前の男は言った。
嘘は付いていない、と思う。
それを告げた時のユーリの表情は驚きとはまた違う色だった。
そう、絶望―――。それがまさしくぴったりな言葉とも取れた。
確かに男女の外出は、別の言い方、一般的な冷やかしの言葉を使うなら『デート』であり、その日の『用事』はそれなのだ。本当はそんな用事など放り出して、久々に見たユーリと下町でのんびりしたかった。積もる話もあれば、近況なども報告しあいたかった。
しかし、貴族のお嬢様に以前から強請られていた『用事』。これを無碍にすればどうなるかなど考えるまでもない。間接的にヨーデルにも迷惑が掛かるのなら、なるべくそうならないように努めなくてはならない。そんな考えに行きついてしまう辺り、フレンはもう自分がすっかり帝国の人間なのだと思い知らされるような気がした。
え、とユーリが困惑した声を出してフレンを凝視している。それにどこか満足げな自分に驚きながら言葉をつなぐ。
「今日は、彼女と僕の初めての外出なんだ。本当はユーリに最初に言いたかったんだけど、会えなかったから…」
最初に言いたかったのはなにも外出のことでも、貴族のお嬢様のことでもない。
ただ今日は「休暇」だということ。捻くれているのは承知の上だった。
それこそ、その日ユーリに会えるなんて思っていなかった。城から出てくる前、たまたま廊下で鉢合わせたエステリーゼに告げていた。そんな理屈でもなんでもない、子供の言葉遊びのようなことを、何も憚らず告げたのは、一重にユーリに会えたという極上の喜びに踊らされていたからだ。
「ユーリとはずっと一緒にいたからちゃんと知らせようと思っていたし」
休暇だから、一緒に居られるんだよ、ああでも、少しだけ後になるけれど。
「うん。嬉しくて、一番に君に伝えに行きたかったんだ」
こんなにも話したいことがたくさんある、だからいっぱい話をしよう。
だけど、フレンとは対照的にどんどん顔色が悪くなるユーリ。
彼は少しだけ疑問に思ったが、それは彼の『悪戯』が成功したモノなのだと思っていた。
だから、気づかなかった。気付けなかった。
ユーリの拳が、握りこみすぎて一筋、血を流していたことに。
「……その、」
「なんだい?」
「その子は、どんな子なんだ?」
苦しそうな声を、まさしく絞り出すように問うてきたユーリ。
何故そんなことを問うのかと疑問に思ったが、そうか自分はお嬢様のことを『恋人』と揶揄したからだ。別にフレン自身お嬢様を『恋人』だなんてこれっぽっちも思っていない。
ただそう言えば、ユーリの、彼女の拗ねる顔が見れるかもしれないと思って選んだ言葉。
実際、フレンはこの時『恋人』とは具体的にどういうものか解っていなかったというものがある。反対にユーリは、男気がありながらもやはり女性という点。
下町の老若男女から煩わしいほど色々言われてきた。
フレンに関しても、そうじゃないことに関しても。
良いことも、悪いことも、色々。
そういう点はフレンの方がかなり純粋な分、ユーリの顔色に気付けなかったのは致し方なかったのかもしれない。
だからフレンは、素直に例え話をした。
「え。…そうだな、ユーリの周りに居る女性で例えるならエステリーゼ様のような雰囲気の子だな」
確かにそう。
雰囲気という点ではエステリーゼによく似ている。ふわふわして、おっとり。だが自分を見る目は、そこらへんの女性と同じようにしか見ていない。
要するに、外見だけ地位だけ生まれだけを見る評議会と貴族の連中と同じような目で見てくるのだ。そういった点ではエステリーゼと似ても似つかないが。
「そうか…よかったな、おめでとう。二人ともとてもお似合いだよ」
告げると、一度俯いたユーリは震える声でそう言った。
お似合い、なんて言われても全く嬉しくなかったが一応まだ『悪戯』は続いているのだ。
だから返した。心にもない、一番の大ウソを。
「ありがとう!君が親友でよかったよ」
親友、だとは思っている。だが、それ以上に大切な存在である彼女。
自分の半身も同然の彼女に嘘をつくのは気がひけたが、あとで言えばいいのだ。
『さっきのやり取りは全部冗談だよ』
『君に久々に会えてうれしくて、ちょっと意地悪したんだよ、ごめんね』
そういって、抱きしめる。……つもりだった、のに。
彼女の背後に、白い犬を抱いたお嬢様がこちらを見ているのに気づいて、視線を上げる。
その隙に、ユーリが浮かれているフレンにもわかるくらい張り付けた笑みを浮かべて、何か言っていた。
ただフレンはまるで泣いているようにも見えたユーリの表情に目を見張って。
一瞬、彼女がそのまま消えてしまうのではないのかとさえ、思えた。それなのに。
するりと、ラピードを伴って去って行ったユーリ。
そうして、フレンは後悔するのだった。
目前にやってきたお嬢様が胸に抱いた犬について三度ほどフレンを呼んでやっと、彼は意識をもどした。
その後悔の念が、いったいどうして彼の中に溢れたのか解らないまま。
「……本当に、僕、冷静に見えます…?」
「……」
レイヴンは頭をかいて溜息をついた。口の中で「ほんと、若い子ってこわい」などと呟いて。
レイヴンの言葉が、彼の中の何に火をつけたのか知らないがフレンの静かな瞳に苛烈な炎が宿ったところを目の当たりにしてしまったのだ。
ピリピリと空気が震えているようだった。
先ほどまでの異常な冷静さを醸し出していたフレンも恐ろしかったが、今目の前に居る彼の方も恐ろしい。
藪を突き過ぎて獅子を呼びだしてしまったかもしれない。だが、レイヴンはわが意を得たりと笑った。
「今のフレンちゃん、なんでそんな怒ってるの?さっきまで平然としてたのに」
「平静ですよ。ただ僕は、自分の中の疑問と答えが一致しないのに釈然としていないだけです」
「へー。なに?その疑問って」
この空気の中、よくもまぁこんな風に飄々としていられると自分で自分を褒めたくなった。
こういうときだけ思うのだ、自分がそれなりに場数も経験も豊富でよかったと。出なければ、この若いくせに迫力だけは大層な獅子と対峙などできない。
その獅子の本来の気持ちをしっかり引き出して上げなければ、苦労するのは間違いなくレイヴンなのだ。
作品名:さよならのじかん 1 作家名:あーね