囚われ
「ほら、やっぱり!」
佐隈が鋭く言った。
メガネのレンズの向こうの黒い瞳はベルゼブブをひたと見すえている。
「やっぱり、私にさわられるのが嫌なんじゃないですか」
非難するような口調だ。
その表情はゆがんでいる。
怒っている、いや、苦しそうにも見える。
傷ついているように、見える。
そして、傷つけたのは自分、だ。
でも、傷つけるつもりなんてまったくなかった。
佐隈が傷ついていると思うと、心臓をぎゅっと強くつかまれているかのように胸がひどく痛む。
「そういうことではありません」
ベルゼブブはふたたび否定した。
佐隈にさわられられるのは嫌、というのは本当のことであり、そして本当のことではない。
しかし、それを説明するのは難しい。
自分の中にとどめておかなければならないことに、どうしても触れてしまうことになるからだ。
外に出すべきではない。
この想いは。
だから、ベルゼブブが否定して、それで佐隈が納得してくれることを願う。
これ以上はなにも聞かないでほしい。
けれども。
「じゃあ、どういうことなんですか……!?」
佐隈は食い入るようにベルゼブブを見つめて、厳しい声で問いかけてきた。
納得なんてまるでしていない。退くつもりは一切ない。そんな様子だ。
そして、それでいて、どこか悲しげでもある。
ベルゼブブが黙っていると、佐隈はまた口を開いた。
「私、なにかベルゼブブさんに嫌われるようなことをしましたか!? さわられるのも嫌なぐらい、私のことが嫌いなんですか!?」
問い詰めてきた。
その顔は気持ちの高ぶりがあらわれていて少し赤くなっている。
怒っているようにも、泣きだす一瞬まえのようにも、見える。
ベルゼブブは眼をそらした。
違う、そういうことじゃない……!
そう胸の中で叫んだ。
しかし、それを言ったところで、また、じゃあどういうことなのかと聞かれるだけだろう。
どういうことなのか。
それを言うわけにはいかない。
言うわけにはいかない。
ちゃんとわかってはいるが、この状況で、心が激しく揺さぶられて、ふだんは胸の奥底にしまいこんでいる想いがぐわりと沸きあがり、喉のあたりまで出てきてしまっている。
想いが言葉となって口から飛び出していかないよう、歯を強く噛みしめ、耐える。
「ベルゼブブさん!」
佐隈が名を呼んだ。
さらに。
「私を見てください!」
そう訴えてきた。その声には悲痛な響きがあった。
ベルゼブブは佐隈のほうを向いた。
黒い瞳が真っ直ぐに見ている。
胸を射抜かれた気がした。
その瞬間、カッと大量の光を浴びせられたように視界が白く染まった。
抑えに抑えていた、その抑えていたものが、はじけ飛んでいった。