のび出木
エレベーターのランプが38階をさし、ドアが開いた。
なんの達成感もないままの帰宅。こんなに惨めなのは、いつぶりだろう?
僕はキーに指を押し当て、ドアを開けた。
完璧に整えられた生活感のない部屋。揃えた家具も本来の用途を失い、ただのオブジェと化している。こんなに退屈な部屋だっただろうか?
一流企業に勤めた僕は、都内の高級マンションを買った。
高価なインテリアを揃え、ブランドものの時計や眼鏡のコレクションが趣味となった僕はそれらをまるで展示品のようにガラスケースに飾り、とにかく高価なものに囲まれることに幸せを見出していた。そしてワインを片手にソファに座りカーテンを開ければ東京の夜景を一望することもできる。欲しい物は全て手に入ったのだ。
ヒモになったスネ夫や、土木関係の仕事からチンピラへと成り下がったジャイアンからは、昔のように馬鹿にされることもなく、逆に頼られるようになった。そんな社会的弱者な彼らを僕は笑顔でもてなした。
金と権力。僕は全てを手に入れた。人の上に立つようになった。
上司に期待もされ、同期のなかでもずば抜けて成功した部類だろう。
彼は喜ぶはずだった。
しかし長年一緒に暮らしていた同居人は一年前に出て行ってしまった。
『すっかり変わっちゃったね、のび太くん』
行く前に同居人が残した言葉。一体なにを意味しているのか僕には分からなかった。
ドラえもんは僕が強くなる事を期待していたんじゃなかったのか?
確かに僕は強くなった。人から馬鹿にされることもなくなった。彼が望んでいたこと、それを僕に成し遂げた。それ以外は変わっていないのだ。
コートを脱ぎ捨て、浴室に入り、洗面台で顔を洗った。
引き出しからタオルを乱暴に引き抜き顔を拭い、鏡に映った自分を見た。
目なんか昔とちっとも変わっていない。
「何も変わってなんかないじゃないか…。」
『わからないの?』
何処からともなく懐かしい声が聞こえた。
「ドラえもん?ドラえもんなのか?」
僕は部屋という部屋を探し回った。しかし見当たらない。僕の幻聴だったのだろうか。
「のび太くん、ここだよ」またしてもドラえもんの声が聞こえた。
もしかして・・・と物置代わりのウォークインクローゼットを開ける。
予感的中だった。以前使っていた安物の、捨てようとと思って放置していたデスク。
そこに彼は座っていた。
「ドラえもん!今までどこに・・・」
僕は懐かしい青い球体の姿を見るや否や安堵と嬉しさのあまり衝動的に抱きつきそうになった。しかし腕を組みながら僕を冷たく見据えるドラえもんを見て気持ちを抑えた。
僕は冷静な口調で「心配したんだよ」と正直な気持ちを伝えた。
「そんなこともわからないの?未来に帰ってたに決まっているじゃないか」
長年一緒に暮らしてきた友人からの冷ややかな言葉。まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかった。出木杉くんの件もあったから、それだけで大ダメージだ。
「でも戻ってきてくれてうれ-------」
「君は変わってしまったよ、のび太くん」
またあの時と同じセリフ。いい加減にしてくれ!
僕はドラえもんの両腕を掴んで訴えるように叫んだ。
「何が変わったっていうんだよ!教えてくれよ!第一君が僕に強くなってほしいって望んだんじゃないか!それが理由で君が出て行ったんなら教えてくれ・・・!」
何一つ表情を変えないドラえもんが僕の腕を払った。
「何がだめだって言うんだ・・・僕は」
1年ぶりの再会がこんな形だなんて、あんまりだ。
僕は頑張ってきたじゃないか。自立できるようになったじゃないか。
するとドラえもんがゆっくり口を開いた。
「のび太くんは子供の頃、今みたいじゃなかったね。気弱で泣き虫で。でも素直で優しい子だった。だから君には友達がたくさんいたんだ。君は確かに強くなったね、でも今の君はお金のことばかり。傲慢で自分勝手。このデスク、お母さんに買ってもらったものだよね。それを君は捨てようとしていたのかい?それに、今の君に本当友達はいるの?僕はそんなのび太くん、見たくない」
考えまい、考えまいとしていた核心をドラえもんに突かれ、僕はたじろいだ。
無駄遣いや人の好意を踏みにじるようなことも知らず知らずのうちにしてしまっていたそんな今の僕に本当の友達なんかできるはずがなかった。
『本当の友達』という言葉をドラえもんの口から聞いたとき誰の顔も浮かばなかった。
確かに上司や同期との付き合いはあるが、彼らは本当の友達なんかじゃない。僕を利用し、僕を持ち上げ、単なる仕事上の付き合いってだけで、どちらも僕を自分の武器にしているに過ぎなかった。僕もその人たちを利用しているだけだ。
だからこそ傲慢に振る舞わざるを得なかったのかもしれない。
金目のものを買い、良い生活をすることで僕は自分の地位を築いた。それが強くなることだと思っていたからだ。
でもそれは仕方がないことなんだ・・・
僕は急に自分が孤独に思えた。