のび出木
「君には『好き』って気持ちはまだあるの?しずかちゃんを好きだったときのような気持ち。」
どうしてそんなことが今関係あるんだ?と思ったが、冷静に思う事があった。社会人になって何度か女性と交際はしてみたものの、感情に変化はなく、なんだかもやもやとしていて、なんだこんなものかと退屈さを覚えいずれも自分から別れを切り出していた。
こんな純粋な感情でさえなくなってしまっていたなんて、僕は本当に変わってしまったんだな。
「ない。覚えてないよ、君の言うとおり、確かに僕は変わってしまったみたいだ」
「のび太くん、僕は君に素直になってほしいんだ。『好き』ってなんだったか、よく思い出してみてほしい」
好き?好きって何だったろう…。
しずかちゃんを見る度に嬉しくなったことか。しずかちゃんが「のび太さん、すごい!」と言って褒めてくれた時の何とも言えない恥じらいか。しずかちゃんのお風呂を覗いた時の胸の高鳴りか。それとも・・・
『久しぶりだなあ、のび君』
唐突に同窓会での出来杉くんが浮かび上がってきた。それを皮切りにさっきの酒の席での一連の出来事が頭の中で再生される。のび君、と僕の名前を呼ぶ出木杉くんの声が何度も頭の中に駆け巡る。その度に耳がくすぐったくなるような、変な気分になる。出木杉くんの横顔、少し赤くなった頬と耳、一個一個のしぐさ、コップを持つ手…。出木杉くんの総てが頭に焼き付いている。
『いやだなあ、俺はもうなんとも思ってない』
きゅんと胸が締め付けられる。まるで本当の孤独を突きつけられたような、そんな痛みだった。馬鹿にされたときに感じる怒ではなかった。何かを失ったときのような、自分の気持ちを踏みにじられたような、言うなれば失恋の痛みとでも例えることが出来るような。
好きとは何なのか、考えれば考えるほど、どつぼにはまっていく気がした。胸の高鳴りを「好き」と表現するのなら、15年前、僕が出木杉くんにトラウマを植え付けようとしたあの日、僕は今までに感じたことのないようなドキドキ感を感じた。今でも思い出す度にドキドキする。でもそれは…
それは・・・?それは何だって言うんだ?
「くそっ!」
僕はを抱えた。
ドラえもんがすかさず言葉を発する。
「思い当たるところがあるんだね。」
「…わからないんだ」
認めたくにも認められなかった。僕がいたずらで惑わせるつもりが、逆に僕が惑わせられるなんてのは気に食わない。もしかして…なんて考えようものなら僕が成人して積み上げてきたもの、僕の表面が崩れていくような気がした。仕事で全勝してきた僕が初めて負けを認めるような、そんな気が。
「のび太くん、プライドを捨てて、きみの本当の気持ちに素直になったらどうなの?のび太くん、仕事人間にならないでね。いま行かなかったらきみはきっと後悔するよ。こんなくだらないものたちに囲まれて自分を偽って孤独であることを隠しているだけなんだよ。きみが今一番必要なのは何なの?」
僕はドラえもんの言葉に率然とした。高価なものに囲まれたくだらない偽りの生活。
僕が欲しかったのはこんな生活じゃない。
僕が一番求めていたもの…
もしかしてあの時からわかっていたんじゃないのか?
「確かに僕は傲慢だ。変わってしまったのは事実だよ。本当の友達なんて、今の僕にはまだ分からない。でも君のおかげで昔感じた『好き』という気持ちは思い出せた気がするんだ。多分僕はあの人のことが『好き』なんだと思う。」
今行かなかったら絶対に後悔する。
僕はドラえもんを見た。ドラえもんも僕を見た。
「ドラえもん、どこでもドアを出してくれないか」
ドラえもんは全てを悟ったような顔で頷き、四次元ポケットの中に手を入れた。
「ありがとう」
僕は高鳴る鼓動を抑えながらノブをつかんだ。出木杉くんが好きだ。悔しくて、恥ずかしくて、こんなこと言いたくない。でも事実だ。どこでもドアが開いた瞬間、抑えきれなくなって抱きついてしまったらどうしようなんて思いながら、ドラえもんに微笑み返してノブを回した。
「きっと彼もきみのことを…いや、なんでもない」