Calling You
薄闇の中、箱にとりついた男の首が、ぐるりとありえない角度でまわった。大きな黒縁の眼鏡をかけた奥の目は、左右違う方向をみすえ、長いやぎひげを垂らしたそいつは、いやらしく笑う。
「あたしは、あんたたち呼んだ覚えはないからねぇ、きっとあたしをビン詰めしやがった魔女か、その辺りが送り込んできたんだろうけど、まあいいさぁ。ほらほら、ここからがいいんだよぉ」
カタカタと一定の音にのせ、その場面が始まってしまう。
「っよせ!!とめろ!!」
ハボックが怒鳴るのに、男は首をまわしながら、かすれたいやな笑いを響かせる。
「ひゃしゃしゃしゃっしゃ!なにを?だれに?どう、よせってぇ?母親が死んだことぉ?それともそのあと、このこが」
「やめろっつってんだ!!」
「やめないよぉ。ほら、見てごらん!この子は、『また』!母親にあんなことをする!」
「ってめえ!!」
走りだしたとたん、マスタングが腕を引く。
「っはなしてください!!」
「まだだと言ったはずだ」
「だって!これじゃあ、あんまりだ!!」
かすれたハボックの声に、やぎひげの男が首の回転をとめた。
「そお、あんまりだぁ。この子がしたことはねぇ。だからほら、みてみてよぉ!だから弟と自分にも、こんなことがおこっちゃったあ!!ひゃしゃしゃしゃしゃ!」
「エド!みるな!っつ、」
つかまれた腕が痛くて上司の顔をみれば、明らかに戦闘用の顔で夢魔を睨んでいる。
「離してください、大佐!エドは、眠るたびに、こんなもんずっとみせられてたんすよ?眠れるわけないでしょう?あいつ、普段だって、ずっと、ずっと背負いっぱなしなのに・・・それを、」
「――― わかってる。だが、いいか、ハボック。ここはあの男の世界だ。あの男のつくった仕掛けで成り立っている。その証拠に見ろ。あの子どもは、ただ涙を流しながら、悲しげな顔で、あの映像を眺めている」
「そりゃ、だって!」
「『だって』、何だ?いいか?わたしとおまえの知っている《鋼の》ならば、あんなに静かに泣かないだろう?後悔と、悲しみと、怒りで成り立つ激しいあの感情は、どこにある?現実世界でうなされて起きるときの、あの叫び声はどこからくる?」
「・・・・・大佐、腕が、痛いですよ・・・」
「我慢して、最後まで待て。――― おまえがそんなに感情的になるとはな」
「・・・・・・・」
にやけた上司の顔から、ひどいものが映し出される布へと眼を転じた。こまぎれのように目にしてしまった様々な場面が、ハボックの頭をゆさぶっているが、腕をつかむ上司の怒りを感じ取り、どうにか、手にしていた銃器をしまうことができた。
暗闇に浮かぶ映像が、赤く、赤くなる。
勢いよく燃える、炎が、兄弟の家を燃やしていた。
ぱちん、とあかりが落ちたように、唐突に布は黒しか映さなくなる。
カタカタがパタパタという音に変わり、ことん、とそれが終わりを告げた。
ブウーーーーーー
警笛のような音がして、暗かった空間に、ゆっくりと灯りがついた。オレンジ色の光の中、静かに泣き続ける子どもの、鼻を啜る音だけが耳につく。
箱の横から消えた男の声が響き渡った。
『 おもしろいのはここまでだよぉ。でもだいじょうぶ!すぐに次の上映が始まるからねぇ。あんたたち、この子を救うつもりでここに来たのかもしれないけどぉ、それはどうかなぁ?なにしろこの子の『傷』の記憶ときたら、どれだけ上映しても擦り切れないんだよぉ。この子、この『傷』から抜けるつもり、ないんだと思うよぉ。普通はねぇ、これだけ何度も上映すると、『傷』が『傷』ではなくなるのさぁ。慣れてきたり、自分に嘘をついて、『傷』に新しく加工をして、痛くなくしてしまうのさぁ。それがこの子、何度も何度も自分の『傷』を見て、泣くんだよぉ。しくしく、しくしく。まあ、泣き方に不満はあるけどねぇ。ほんとはもっと、激しく、痛く、ひどく、泣いてほしいいイイ!!では、次回上映は十分後!お楽しみにィ 』
男の笑いに、ハボックは唾を吐きすてた。
ゆっくりと、椅子にすわったままの子どもをめざす上司が、なるほど、とうなずくのを見る。
「――― ここから出ることはできずとも、自分がどういう状況に置かれているのかは理解できているのだろう。あの変態を喜ばすつもりは無いようだ。だから、あんなに静かに泣いているんだろうな」
独り言のようなそれは、こちらへの同意を求める言葉であったかもしれないが、吐き気がするほどの怒りの中では、何も返せない。
男二人が目の前に立ち並んでも、子どもは遠くを見たまま、ただ、静かに泣いていた。
「―― さて、少尉、わたしがこれからやろうとしていることが、わかるかね?」
「なんとなくは・・・」
「よろしい。ではまず、この別人のようなわたしの部下の、目を覚まさせてやらねばなるまい?」
「キスでもしますか?」
「今度お前がねぼけていたら、ブレダ少尉にそうさせよう」
「・・・つつしんで遠慮します。できるなら中尉に」
「命知らずだな。さて、 ――― 」
子どもの前に足をひろげて立った男が、いきなり手をふりあげた。
ぱんっ!
皮膚を打つ音とともに、子どもが椅子から転げ落ちる。
「あ〜あ、大佐、もうちょい手加減しても・・・」
転がった子どもを助け起こす部下は、その頬が見る間に赤くなっていくのに、顔をしかめた。
「手加減など、失礼だろう?なあ、鋼の?」
ひどく挑発的にこどもを見下ろす大人の顔を、泣きぬれた顔の子どもが、ようやく認めた。
「・・・ってえな・・・。なにすんだよ?」
「わたしの顔も忘れているとは、まだ、寝ぼけているようだな」
「・・・あんた、・・・・・あのときの?」
「ふん。どうやらきみは、この箱の中の時間にだけとらわれているようだな。それならこうしよう」
手袋をした指が、ぱちん、と弾かれた。
ぼっ、と激しい火がいきなり箱からあがり、子どもが叫んで走りよる。
「な、なにしやがんだ!消せよ!この箱はだめだ!この箱の中には!」
「箱がどうしたんだね?きみの『傷』が入れられたそれが、そんなに大事か?」
「大事だよ!!おれの、おれの大事なもんが!この中に入ってるんだ!消してくれよっ!!」
「バカをいうなっ!!」
「・・・・・・」
めったにあがらない上司の怒声に、ハボックも子どもといっしょに身を縮めた。
燃える箱と子どもの間に立ちはだかった男は、静かに告げる。
「―― きみが大事にしているものは、きみの中にしかない。そしてそれは、『傷』などと称してそれだけで抜き取れるものではないはずだ。その傷みは、きみから一生消えるものではなく、すでにきみの一部になっている。エドワード・エルリックを構成している一部なのだよ。――― そしてそれは、きみだけの『キズ』でできているのではないだろう?その傷そのものが、様々な人と、かかわりと、つながりを生む、きっかけだったはずだ。苦しいだけの傷ではないだろう?・・・・きみを心配して待っている人が、たくさんいることを思い出したまえ」
ごとん
燃え尽きた箱が、高い脚から落ち、目覚めたように、金色の目が、ふだんの光を取り戻す。
「・・・・なんか、・・頭のもやがとれてきた」
「それはなによりだ」
作品名:Calling You 作家名:シチ