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月のひかり、星のかげ

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これで暫くはタローの方から、恋愛云々の話題を出してくることはないだろう。妙な優越感と可笑しさに肩を震わせてソラは笑った。
不可抗力の回想による、ほんの少しの痛みはあったのだけれど。


* * * * *


『――even on the day when I was loosing.
The wish not……ノット……ふ、ふるふぁいるど? アンド、プレーヤー……じゃなかった、プレアー? ハ、have fallen like the……』
『……ラ君、ソラ君っ! 前っ!』
『……え?』

何処からともなく声を掛けられて、ソラが音楽の教科書から視線を持ち上げた時、目の前には壁があった。状況を把握するよりも早く、ごつんと正面衝突を果たす。
『痛ッ!』と強か打った額を擦りながら、ソラは後方に倒れ込んだ。バサリ、と手から離れた教科書が落ちる音、カツカツカツ、と背後から誰かが駆け寄って来る足音が次いで聞こえてくる。しかし、それどころではない。じんじんと痛む額に手を当てて、ソラは涙目で悶絶していた。『大丈夫?』と問われても返答する気力がなかった。それが例え、大好きな声だったとしても。

『…………っ、あ』
『もう、駄目じゃない。ちゃんと前を見て歩かなきゃ』

そう言って、額にハンカチを宛がってくれたのが彼女だと分かるや否や、ソラは頬が火照るのを感じた。顔を上げれば、肩までのソバージュが良く似合う彼女の困ったような表情があって、どくん、と胸が高鳴る。目を合わせたソラに、彼女は柔らかく微笑んだ。

『…………保科(ほしな)先生』

自分より十センチ以上背が低くて、顔立ちの幼い彼女はこの敬称を付けなければ、自分との関係が不確かになってしまう。呆然とソラがそう呼ぶと、彼女はふう、と溜息で応えた。
『余所見は危険よ、ソラ君。注意一秒怪我一生って言うでしょ?』と諭しつつ、花柄のハンカチで血を拭う。その姿は立派に教師然していると同時に罪悪感を抱かせて、ソラは『すみません』と即座に詫びた。ぺこりと頭を下げたのは紅潮した顔を隠す意味もあったのだが、『おでこ、見せて』と言われて再び上げざるを得なくなった。恐る恐る、顔を上げる。

薄茶色の双眸に自分が映っているのを見てソラは更に顔を赤くした。
『ちょーっと瘤になってるわね……大丈夫かしら? 取り敢えず、保健の先生に診てもらったほうが良いわ。一緒に行きましょう』
『え、あ……その、大丈夫です。僕、一人で行けますから』
『こんなことで遠慮しないの。ね? ほら、立って』
どうして、こんなにも好きになったのかは良く分からない。いつから、これ程までに想うようになったのかも良く分からない。音楽の時間に歌声を褒められたからか、それとも廊下の窓から白い月を見詰めていた時、そのことを打ち明けると興味を示してくれたからなのか。――気が付けば、ソラは十歳以上も年の離れたこの音楽教師に好意を寄せるようになっていた。とても、とても好きだった。

『…………あら?』

しかし、当の彼女はこうしたソラの想いを知る由もなかった。ソラ自身、打ち明けるつもりがなかったのだから当然と言えば当然のことではあったのだけれど。
生徒と教師の関係で恋愛感情を持つことは世間的に好ましくないことであるという事実を知らない程、子どもではなかったし、見ているだけで充分だと思い込む位には、子どもでもあった。彼女の一挙一動に、一喜一憂していた青臭い日々。

『教科書を読んでいたの? 今日は授業がないのに?』
『あ……えっと……練習、しようかと思って』

床に落ちた音楽の教科書を拾い上げて首を傾げた彼女に、ソラは答える。正直なところ、彼女にはあまり知られたくなかったのだが、嘘を吐くのも躊躇われて素直にそう答えた。
彼女がぱらり、と捲ったのは先程までソラが目を通していたページで、楽譜と普段馴染みのない英詞が掲載されていた。授業中に、授業外に赤いペンで書き込まれた、歌い方の注意や英単語の読み仮名と共に。
『歌のテスト、再来週だったでしょう? ……だから』
今も昔も、ソラは特別勉強熱心な生徒ではない。テストとなれば、一応勉強はするが毎度芳しい成績を残せるような優等生ではなく、寧ろ赤点や追試に縁深い方である。それでも、このテストだけはと頑張っていたのは、偏に幼い恋心の所為だった。たった一言で良い、

『ソラ君は、努力家ね』

自分のことを認めてくれたなら。
はらり、と花が綻ぶように零れた微笑みと、お世辞かも知れない、けれども自分を個人として評価してくれたその言葉に走る、動悸。募る、緊張。胸の、温もり。広がる、嬉しさ。……これが恋なのだと教えてくれたそのひとに、ソラはどぎまぎしながら一礼をした。

『……ありがとうございます』

見ているだけで充分だなんて、嘘だった。こうして、自分だけに向き合ってくれる数少ない瞬間を、少なからず求めていたことには気が付かずに、歌の練習に明け暮れた。暗号にしか見えなかったオタマジャクシも、読めるように頑張った。
そんな自分を彼女は『本当に真面目ね、貴方は』と笑った。ふふっ、とあどけない少女の如くに目を細めて呟く。『こんなところまで似ちゃって』と楽しげに、

『…………先生?』
『ソラ君みたいな人って、好きよ』

紡がれた独り言と、それに対する違和感がどうでも良くなる位に、のぼせた。恋は盲目とは良く言ったものだ。人の目を真っ直ぐに見据える瞳に惹かれて、人を寛容に受け入れるその温かさに惹かれて、いつの間にかに落ちていた、恋。流れ星のように落ちて行った、恋。

「………………ふう」
「……あれ? どうしたの、ソラ君。難しい顔しちゃって」

この数年、いや、その後数日の間に傷の癒えた額を押さえて嘆息すると、更紗の問い掛けに遭った。
叶うことのなかった恋の思い出は噛み締めれば噛み締める程苦い。自身を苦しめるだけとは分かっていても、捨てられない大切な記憶の中の自分をもどかしく懐(おも)う。つい最近、失恋したと思われるショウコもこのような葛藤を抱いているのだろうか。ソラは、川の側に立つショウコを眺めた。

「いやあ……若かったなあ、自分。って思って」
「ソラ君、今だってじゅーぶんっ、若いじゃない」
「いやいや、随分老け込んだと思うよ。あの頃に比べたら」
「その『あの頃』っていうのが分からないけど……元気、出そ?」

ねっ、と両手を握り締めての更紗の励ましに、ありがとう、と応えながらもソラはショウコの方を見ていた。無表情でいることの多いショウコだが、じっと見詰めていれば僅かではあるが表情の変化を読み取ることが出来る。パルの疑問に答える誠実な横顔、静かに星を眺めて、何か思案しているらしい表情は凛としていて、美しい。
初恋のあのひとは可愛らしいひとだった。明るく、お茶目でお喋り好きで、たくさんの人の中でも輝きを放つ星のようだと思ったことがあったが、彼女が星であるならばショウコは月だろう。
美人だが無口で、いつでも何処か遠くから相手を照らし出している、そんなイメージがある。――彼女とは正反対だなと感じたところで、

「ソラ君って、もしかして……ショウコちゃんが、好きなの?」