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月のひかり、星のかげ

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「もし辛いようなら、舐めてみて」
そう言いながら、差し出されたのはカラーセロファンの小さな包み。

「……え? これって」
「のど飴よ。市販のものではないから、効果は保証出来ないけれど」
「市販のものじゃないってことは……君が作ったってこと?」
「ええ。……つい先日まで、弟が風邪気味だったから」
そこまで聞いて、ソラは改めてその包みをまじまじと見た。
「へえ………」と見詰めたそれは確かに、店頭で売るには多少不格好な形であったけれども、セロファンの端をピンキングバサミで切り揃えていたり、捻られた部分を食パンに付いているようなタグで留めていたりと、既製品にはない工夫や飾り気が見て取れる。慎重に包みを開くと、仄かに花と蜂蜜の香りがした。中々に本格的だ。
「凄いね。のど飴って、家で作れるものだったんだ」
「そんなに難しいものでもないわ。ハーブの抽出液を作るのが多少手間だけど、後はグラニュー糖と一緒に熱して固めるだけだから」
「ああ、ハーブの匂いなんだね。道理で良い匂いがすると思った」
包みを剥がした飴を手に取って、ソラは月に翳してみる。透き通った宝石のような輝きと、甘い香りに誘われて口に含むと、薄荷に良く似た清涼感と、放つ香りに相応しい甘さが口一杯に広がった。
既製品に劣らない味に、自然と頬が緩む。「あ、おいひい」と素直な感想を述べると、ショウコはホッとしたように柔和な笑みを見せた。「それなら良かった」と呟いた彼女の微笑は、美しかった。

「ハーブは好き嫌いが出るから、嫌いな味でなくて良かったわ」

他意はなくとも、思わず見惚れてしまう程に―――…

「……………………」
「……ソラ君?」
「……あ、ああ。んや、ほの……ひょーこひゃんは」
「ソラ君……お願いだから日本語を喋ってくれる?」

普段はあまり気に留めてはいないのだが、ショウコはかなりの美人だ。その上、常に仮面の如き無表情を貼り付けている彼女に微笑み掛けられたとあっては他意があろうがなかろうが、とくん、と胸が高鳴ってしまうのは必然であろう。……男として。
しかしながら、そんな本音を彼女に明かせる筈はなく、ソラは慌てて話題を振った。……振ろうとしたところで、行儀が悪いと窘められる。飴を一先ず、舌で頬に押し付けてから改めて、切り出した。「ショウコちゃんは結構、こういう料理とか、お菓子作りとかする方?」と訊ねる。

「ええ、割と料理は好きな方よ」
「そっか。僕も料理は嫌いじゃないけど、お菓子は全然作らないなあ。グラニュー糖だなんて家に買い置きもないし」
「グラニュー糖は普通の料理にはあまり使わないもの。そんなものよ。でも、ソラ君も料理をするのね。良く作るものとか、ある?」
「うーん、強いて言うなら塩焼き蕎麦と風呂吹き大根かな」

そして弾む、他愛もない会話。それを見守る更紗の温かな笑顔と、こちらの話はそっちのけで星に目を輝かせるパルの無邪気な笑顔と、慣れていないが故にヘタクソだけれども、今という瞬間を楽しんでいるということが伝わってくるショウコの不器用な笑顔とを眺めて、ソラは改めて思った。充分だ、と。星々のような距離を保ちながらでも、安寧な時間を共に過ごすことは出来るのなら自分は、今在る関係を維持することを選ぶ。例え、彼らと別れたその後に、惰性で過ごしている日常の中に、何も見えないこの未来(さき)に、
「うん、フォーマルハウトが凄く綺麗だ」
彼らの内、誰の姿がなかったとしても。
彼ら以外の誰とも繋がらなかったとしても。

「フォーマルハウトは、秋の空に見えるたった一つの一等星なんだ。
正確には一・二等なんだけどね。だから南の一つ星、なんていう異名もあるんだよ。一つだけ寂しげに光っているからって」
「そうなの」

この広い世界の中で、たった独り、誰と分かり合うことがなかったとしても。

「うん、これは中部地方、特に静岡辺りでの呼び名なんだけどね。中国名だと北落帥門(ほくらくしもん)だったかな。日本では孤独な星でも、中国だと兵の星だと捉えられて戦況を読んだそうだよ」
「ソラ君ってば……もう、歩く星座辞典ね」

過ちを繰り返すよりはずっと、ずっとマシだから。――苦々しい過去をひた隠しながら、ソラは笑った。「それも褒め言葉だよね?」とおどけてみせる。返される微苦笑にまた、笑いながら、星空を仰いだ。
上辺だけの交遊であれ、和やかな『日課』を築く彼女らの存在を尊く思うと同時に、矢張り、この胸に残る痛みは誰にも明かせないのだと再認識する。夜空は果てなく開けているけれども、その空と同じだけの広さを持つ世界に佇む、それと同じ名前を持ったちっぽけな――…『望月空』という存在の孤独さを噛み締めた。

「――ん。のど飴、ご馳走様でした。とっても美味しかったよ」
「どう致しまして。ちゃんと効いてくれれば良いんだけれど」
「ン? ナンだかイイニオイがするウパ」
「あのね、ショウコちゃんが作ったのど飴を貰ったんだ」
「凄いね、ショウコちゃん。自分で飴を作っちゃうなんて……」

和気藹々と過ごすひとときの中で、募りゆく虚しさには気付かない振りをして、ソラは、煌々と照り輝く星の数々を見詰める。大好きな星を見られて、共に星を見る仲間がいて。それ以上に何を望むというのか。元々、幸福になることなど望むことの出来ない身だ。
他人の幸福を奪った人間には、充分過ぎる程の幸せではないかと思い巡らせながら、それでもソラは、その目にフォーマルハウトを捉えて佇む。南の空にぽつん、と取り残された一等星は、孤独に負けじと自己主張するように強く、青白い光を放っていた。


「あれ、もしかして……」

そんな彼の姿を遠目に見付けて、声を上げた人物が一人。

土手の上から河原を見下ろした長い人影は、真っ直ぐに星を見据えたソラを取り囲む面々へと視線を移し、そして、目を見張った。彼の隣で長い髪を靡かせる少女の姿に、川の方へと踏み出し掛けた足が止まる。
「……おい。どうした?」と、無言で立ち尽くしたその影に、もう一つ新たな影が駆け寄った。そして、河原から聞こえてくる奥行のあるテノールと、澄んだソプラノの語らいに気が付く。
「この声……望月か。蒼井(あおい)姉に更紗やあの宇宙人も一緒か。……蒼井と親しいとは、知らなかったな」
「……俺も、初めて知った」
「まあ、望月も蒼井も今回のパーティーでの同期として、交友が深まるのは不自然ではないな。……声、掛けて行かなくて良いのか?」
「……………………」
ソラを望月、ショウコを蒼井と名字で呼んだ影の持ち主は、二人のことを知っていた。そしてその影に相槌を打った長い影の持ち主も同様に、二人とは面識があった。内一人とは、あり過ぎる程に。
長い影を作る長身の青年は、少女と言葉を交わす少年の朗らかな表情を、見て。その手の平をギュッと握り締めた。何かを殴り付ける時のように固めた拳は、少年とは正反対の方向へと向けられる。

「…………良い」

少年に背を向けた青年の拳は、行き先もなくぶるぶると震えていた。