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月のひかり、星のかげ

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『え……っ? ショウコちゃん? どうしたの?』

驚愕に目を見開いた更紗に問われて、気付く。知らず識(し)らず、

『どうして、泣いてるの……?』

ショウコは、泣いていた。

更紗の問い掛けに、パルが振り返る。ショウコは顔を背けて彼らの視線から逃れる。
そして、ソラの……ソラの歌が止まる。彼の歌に感化されてしまったらしかった。これまで封じ込めていた想いが物悲しい詞に釣られて、一気に溢れ出て、ぽろぽろぽろぽろと零れ落ちてくる。
『…………ッ……』
大粒の涙に濡れた顔を伏せて、ショウコはその場にしゃがみ込んだ。
それが精一杯だった。泣くだなんて情けない、出来る筈がないと抑え込んでいた理性は脆くも崩れ去って、ただただ、感情の奔流に流されることしか出来ない。
突然泣き出した自分に、皆は困惑しているのだろう。しかし、そんな認識で止められるような感情ではなかった。『大丈夫? ショウコちゃん』と訊ねられたその間にも後から後から、それは噴き出してくる。衝き動かされるままに、ショウコは泣いた。ひたすらに泣いた。恥も外聞もかなぐり捨てて、周囲の顔色も窺うことなく、

『――――更紗ちゃん、』

見兼ねたらしいソラが、そう声を掛けたのが聞こえた。言外に制止を促したソラの呼び掛けに、頬へと伸ばされた手が戻されるのを、ショウコは視界の端に見た。小さな足音がほんの少し、遠ざかって辺りは急に静まり返る。ここには、自分の哭する声しか存在しない。

『っく……ぅ、あ……ッ……………』

こんな醜態は誰にも見せたくないのだ、というショウコの胸中を推し量ったソラの配慮は、同時に確かな孤独をも齎した。
勿論、ショウコがそれを望んでいたが故の孤立だったのだけれども、側に誰かがいながら独りで泣くことの辛さが、更にその胸を締め付けた。

『はい、セット完了。……パル、更紗ちゃん。見てて良いよ』

それから程なくして聞こえてきたのは、またしてもソラの声だった。
どうやら、ショウコの泣き顔を前にしてもそのまま組み立て作業を続けていたらしい。事もなげにそう告げた彼に、二人はどのような反応を見せたのだろうか。俯いていたショウコには分からなかった。パルと更紗の表情だけでなく、二人にそう言い残すとこちらへと歩み寄って来た、ソラの表情も。
ざっ、ざっ、と草を踏む靴の音は目の前で立ち止まると、『よっこいしょ』とショウコの隣に腰を下ろした。その後の沈黙はほんの一瞬で、ソラはすぐに口を開く。

『A star saw everything.It was watching from the dark sky even on the day when I was born.』

そして、その口から発せられたのは――哀しくも優しい歌だった。

思わぬ展開に顔を上げれば、ソラは隣で泣きじゃくるショウコではなく、快晴の夜空を真っ直ぐに見据えていた。遠く、ずっと遠くにある星を眺めながら、それでいてすぐ側に来て歌ったのは彼なりの慰めだったのだろう。下手に触れようとしても、ショウコは突っ撥ねたであろうし、無責任な励ましでは傷付くだけだと分かっていたのかも知れない。
だから、その側で歌った。気を紛らわせるつもりだったのか、それとも泣きたいだけ泣かせるつもりだったのか、独りではないということを分からせるつもりだったのか。
ショウコの泣いた理由をソラが知る術はなかったように、ショウコもまた、ソラの歌った理由は想像の域を出なかったのだが、事実として、ソラはショウコが泣き止むまでこの歌を歌い続けた。呼吸を整えたショウコが『……ありがとう』と礼を言うまで、そして、

「A star saw everything.It was watching from the dark sky even on the day when world ended.
(その星は全てを見ていた。世界が終わったその日にも、暗い空から見詰めていた。)」

聞いていただけのショウコが、その歌をすっかり覚えてしまうまで。


「……ソラ君?」

しとしとと雨の降り注ぐ河原には、誰もいない。それを見て踵を返し掛けたショウコだったが、雨音の間から聞こえてきた歌声に声の主を探すと、橋桁の下に、キョトンとした表情のソラを見付けた。
「ショウコちゃん?」と驚いた様子でこちらを見上げているソラは、どうやらここで雨宿りをしていたらしい。ショウコは土手をゆっくりと降りて彼の元へと駆け寄った。ソラは笑顔で出迎える。

「今晩は、ショウコちゃん。どうしたの? 今夜は雨なのに」
「それはこっちの台詞だわ。貴方こそ、傘も持たずにどうしたの?」
「いや、家を出る時までは晴れていたんだけど、何か、河原に着いた途端降り出しちゃったもんだから……」

帰るに帰れなくなっちゃって、と苦笑したソラに、ショウコは肩を竦めた。予想通りだ。その後もソラは英語の教科書を片手に続けた。
パルと更紗はこの悪天候を察したのか、今晩は来ていないということ。だから一人で、明日の単語テストの対策をしながら雨が止むのを待っていたこと。そこへ、ショウコが現れたこと。
今晩はペガサス座を見たいと思っていたことまで聞いて、溜息を吐く。
「幾ら見頃でも、雨が降っていたら仕方ないんだけどね」
「でしょうね。……ソラ君、家は遠いの?」
「濡れて帰るには微妙な距離なんだよね……。歩いて十五分位かな」
「それなら……」
何気ない会話の中で、ショウコはふと思い至った。……自分はソラの家の場所すら知らないのだと。そういえば、彼の通っている学校さえも分からない。
明らかに、近くはない距離ではあるけれど。特別に、意識しているわけではないけれど。それでも働き掛けるのは、

「良かったら、入って行く?」

ソラの然程大きくもない瞳がぱちくりと瞬かれた。……彼は数少ない男友達で。あの日、独りで抱え込んでいた絶望に光を齎してくれた数少ない、心を許した人間だからだ。
ソラは、ショウコの差した赤い傘を見て小さく笑う。「でも、そうするとショウコちゃんが濡れちゃうよ」と言って、やんわりと辞退の意を示した。確かに、折り畳み傘であるが故にショウコの差した傘は、二人で入るには小さかった。
かと言って止みそうもない雨の中、見捨てて行けるような存在ではない。……少なくとも、ショウコにとっては。
「だったら、少し待ってもらえれば家から傘を持って来るわ。私の家、ここから歩いて五分位なの。それで良ければ」
「え? 僕は断る理由なんてないけど……手間じゃない?」
「そんなに大したことでもないでしょう。
それとも、私が少しの手間を惜しんで、貴方を見捨てるような人間に見えたの?」
「滅相もございません」
少しふざけて問い質すと、ソラは破顔一笑した。申し出ておきながら、お節介になることを恐れたショウコの不安を拭うように、浮かべた満面の笑み。それを見て、思わず口元が緩んだ。つくづく、笑顔の似合う人間だと思う。その笑顔で他人の心に温かな火を灯してゆく。

「それじゃあ、お願いしちゃっても良いのかな? 悪いけど」
「気にしないで。すぐに戻って来るから、そこにいて」