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現ぱろ

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 林冲がTシャツを着終えて顔を上げたときには、公孫勝はもうシャツに袖を通していた。その顔に表情はない。取り返しのつかない失敗を犯したような気になった。冷ややかさのない心からの笑顔。再び、あの笑顔を目にする機会があるだろうか。ボタンをはめ直す白い指先を見つめる。あのシャツを奪って隠してしまえばよかった。
 天女から羽衣を奪った男のように。


 公孫勝から渡されたのは葉書だった。転居の知らせとある。餌だけをねだりに来る半野良の猫のような公孫勝がこんなものを用意するとは思えない。ならば新たに同居人となる劉唐がこれを作ったのだろう。
「なんだこれは」
「転居の知らせだ」
「そんなことは見ればわかる」
「では、なにが訊きたい?」
 ごく静かな声に思わず公孫勝の顔を見た。なにを訊きたかったのか。自問する。浮かんだ答えに顔をしかめた。公孫勝にはおおよそ似つかわしくない知らせを、公孫勝から渡される。その意味を思う。
 一日に一度は飯を食いに来いと言った。公孫勝は律儀にその言葉に従った。それは林冲が学生寮を出ても変わらずに続いている。稽古や公演で来られないときは必ず事前に連絡があった。もう林冲の部屋には来ないということだ。
 公孫勝の傍に立つ劉唐を見た。公孫勝の腰巾着をしていることを除けば、劉唐は好感のもてる男だ。公孫勝などよりも余程まともな感覚を持っているだろう。
 公孫勝よりも頭ひとつ高い劉唐は能などやめて道場に来いとスカウトシたくなるくらい恵まれた体格をしている。立ち居振る舞いもきびきびとしていて、実際に手合わせをしてみたいとさえ思わせた。
 こいつに乗り換えるのか。喉まで出かかった問いを奥歯で噛み潰す。林冲に公孫勝をただ人に戻すことはできなかった。かつても今も公孫勝は舞台に立つ数時間のために総てを捧げている。傍らにある人間としては、同じ舞台に立てる劉唐の方が似合いだろう。
「おまえがどこで誰と暮らそうが、興味はない。どうして俺に報告する必要があるのだ」
 負け惜しみだ。わかっていても虚勢を張ることはやめられなかった。公孫勝が劉唐を選ぶと言うのなら引き止める言葉は林冲にはない。公孫勝は冷ややかに笑う。
「それもそうだ。行くぞ、劉唐」
「あ、待ってください。あの林冲さん、これ、今度の公演のチケットです」
 劉唐が封筒を差し出した。公孫勝はもう林冲に背を向けている。劉唐と封筒を見比べた。
「是非」
 手を出そうとしない林冲に焦れたように封筒を押し付けられる。そうして一礼をすると劉唐は公孫勝を追った。紅い髪が揺れる。公孫勝の背中は振り返らない。
「公孫勝! おまえも出るのか?」
 声を張り上げた。劉唐が是非にと言うのならば、公孫勝の舞台に決まっている。わかりきったことでも聞かずにはおれなかった。公孫勝が肩越しに振り返る。答えはなく、ただ口元に冷ややかな笑みが浮かんだ。
 公孫勝の後姿が見えなくなってから、封筒を開いた。公演のチケット。シテの名はやはり公孫勝になっている。演目は「羽衣」。
 林冲は空を仰ぐ。春を間近に控えた薄青の空が西の端から紅く色づき始めていた。
作品名:現ぱろ 作家名:緑いも