現ぱろ
あの場に、自分がいても良かったのか。そもそも、公孫勝と同居などしてしまっていいのか。公孫勝の後姿を追いながら劉唐は思う。林冲はどう思っただろうか。深刻な誤解をしてはいないかと心配になる。
公孫勝に追いつき、その横顔をそっと盗み見た。白い顔にはなんの表情も浮かんでいないように見える。公孫勝はいっそ能面をつけているときの方が表情豊かだ。舞台の上で公孫勝は鬼神にも天女にもなる。
公孫勝の舞はこの二年ほどで凄みと艶を増した。見ていて総毛立つほどだ。白い肌が桜色に上気し、汗を纏って内から輝くような艶を見せる。稽古では面をつけない分それが顕著で、見てはいけないものを見ているような気にさえなった。
こんな女が実際に傍にいたらむしゃぶりつかずにはいられないだろう。そう思わせるほどの凄絶な色香を引き出したのは林冲ではなかったのか。劉唐の邪推に過ぎないかもしれない。けれど公孫勝の舞が変わったのは事実だ。
なにがあったのかと訊くことは憚られた。何もなければ大変な侮辱になるし、予想通りの答えが返ってくれば嫉妬でどうにかなってしまうだろう。
「公演、来てくれるでしょうか」
口から出たのは、考えていることとはまったく別の問いだった。
「度胸があればな」
言葉は少なかったが、答えが返ってきたことにほっとする。公孫勝の寡黙さには慣れていても、今は沈黙が重かった。
「度胸?」
「よりによって演目が羽衣だ」
「はあ……」
さっぱり意味がわからない。気の抜けた相槌を打つと、公孫勝が目元だけでちらりと笑う。
「あれはどうやら私が普通と違うことが気に入らぬようだからな」
「ああ、なるほど……」
確かに林冲が公孫勝に普通を求めているのだとしたら、天女を演じる公孫勝を見るのは辛いだろう。否応もなく公孫勝が普通の枠には収まらないことを突きつけられることになる。
「ですが、林冲さんは普通でないことが気に入らないのではなくて、先輩にも人並みの幸せがあっていいはずだと、そう思っているだけだと思いますが」
公孫勝の笑みが深くなった。劉唐の前髪を指先に絡めて軽く引く。近くなった耳元に囁くように「おまえはいい子だな」と言われて顔が熱くなった。
「俺は……」
褒められたことが嬉しくて、けれど子ども扱いが悔しい。
「俺はいい子じゃなくて、ただ先輩が好きなだけです」
公孫勝が目を瞠った。表情に乏しい公孫勝が驚きを露にすることは珍しい。思わず、まじまじと公孫勝を見つめる。ややあって、公孫勝が息を吐いた。
「そういうことは軽々しく言うな」
「本心です」
「わかっている」
ちっともわかっているとは思えない。劉唐は唇を尖らせた。