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比翼連理

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9. 曙ノ光


-1-

「――――アテナよ、貴方が犯した罪は、いまや貴方が支配する地上だけではなく、冥界、海界、天界までに波及している。一体どう、始末をつけるつもりか」
 ジュデッカの最奥に位置し、周囲から隔絶された一室にある『万物の羅針盤』を前にハーデスは冥衣を身に纏い、考えに耽った。
 冥闘士たちからの報告を聞くまでもなく、冥界での異変、他界での異変を感じ取り、対策を講じるべく誰にも邪魔されぬこの場所に身を移した。
 同時多発的に起こった此度の事象は、ティターンとオリュンポスの神々との永きに渡る争いを彷彿とさせる。
 アテナとハーデスとの争いなど、ティターンとオリンポスの神々との争いに比べれば、子供の喧嘩に等しいといえよう。多くの犠牲をもって勝利したのち、古き神々をこの冥府の檻に閉じ込めていた。
 その監視者は己である。
 しかし、先頃起きたアテナとの戦いにより、一時的にハーデスは力を喪失したため冥府の檻が開け放たれてしまったのだ。
 その檻にはティターンだけではなく、知能の低い巨神やゼウスやハーデスに仇なす者たちが閉じ込められていた。

 ―――忌々しいこと、この上ない。

 しかし、己の統治している世界を守る義務と責任がある。
 今はアテナのことをどうこう言っている場合ではなかった。


 相手の目的は?
 キキキッと万物の羅針盤が回転を始める。

  ―――我らの世界を取り戻そう、我らの王のために――

 口々に発せられる言葉の意味は?
 キキキッ針が小さく動いた。
 そして、サイクロプスやヘカトンケイル、キュクロプスたちをここまで統率できる優れた手腕の持ち主は誰だ?
 羅針盤が蒼い光を放ち、形が変化する。
 逃れたティターンの神までを手足のように使うことができる、知恵ある神の存在を感じる。
 父神クロノスは逃れぬことができぬまま、永劫の雷電に今も穿たれている。
 それでは他に誰がいる?
 ティターン一族なれば、オリンポスの神々の力を決して侮っているわけではないはずだ。
 それでも挑んでくる不屈の精神を持つ者といえば、かつて神々の王さえも欺いた一神の名が浮かび上がる。
 しかし、彼はあの神々の戦いにおいて、愚かな血族たちを見捨て、ゼウスの側に立っていたはず。
 ぽうっと蒼い光が部屋中を満たし始めた。


 人間を愛し、アテナに生命を吹き込ませた神。
 人間を愛したがために罪を犯した慈悲深い神。


 その彼がアテナに戦いを挑み、人間たちを苦しめるというのも不可解である。
 巌に繋がれた鎖に手足の自由を奪われ、激烈な痛みを、苦しみを受けながらも不滅の瞳は真直ぐに見つめていた心強き神。
「いや、違うな……最初からではなかった」
 最初は絶望に満ちた瞳をしていた。いつしか、その瞳に力が宿っていたのだ。状態を検分するために幾度か足を運んだとき、前を向き、拷問に耐える彼に問うたことがあった。
 それほどまでにおまえの魂を支えるものは何かと。人間への過剰なまでの傾倒ぶりを蔑んでのことであった。
 彼が「人間のため」と答えるであろうと思ったから。
 その彼を嘲笑ってやろうと思ったから。
 しかし、冥王の思惑を知ってか知らずか、聡き神は違う答えを導きだした。

 春がくれば 
 夜が明ければ
 あの空へ 
 あの場所で
 めぐり逢う

 我が身が自由となった時
 『曙光の君』と約束したのだ
 再び 会おうと

 だから、今は耐え忍ぶことができるのだと、彼は穏やかに、歌うように告げた。
 自由を奪う鎖に繋がれ、屈辱的な拷問を受けながら、好奇の眼差しに晒されても、誇り高い微笑みを浮かべて見せたのだ。
 絶望に打ちひしがれていた男に希望を与えた者。
 怪訝に想いながらも、どこか羨ましくもあった。
 己にはそのような存在などいなかったから。

 興味が湧いただけ。
 好奇心に駆られただけ。
 希望が絶望に変わる、その瞬間の男の表情を見たかっただけ。

 幾つもの理由を列挙しながら本質は隠して、カウカソス山の巌に身を潜めて待ち構えた。



作品名:比翼連理 作家名:千珠