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比翼連理

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15. 劫火ノ花


-1-

 復讐の女神の微笑みのごとく、赤く輝く月の光が主なき沙羅双樹の園を妖しく染め上げる。

 ザアァァ・・・・

 一陣の風が心許なげに咲く花を無情に散らせていく。闇夜に打ち寄せる緩やかな波のように、プロメテウスは髪を靡かせた。
「さあ、アテナよ。貴方がゼウスより与えられた光の欠片を頂きましょうか」
 片膝を着くと、沙羅の木の根元で横たわる少女の髪を乱暴に左手で掴み上げる。
「う……っ」
 小さく呻きを上げ、眉根を寄せる少女を凍る眼差しで見つめながら、仄かに光を放つ右手をゆっくりと体幹の中心へと押し込んでいく。
「いやああああぁぁ……!!」
 アテナの瞳は大きく見開かれ、珠のような涙が零れ落ちた。アテナのつんざくような悲鳴が花園に、聖域にと響き渡った。
 ふと手を止めたプロメテウスは瞑目し、忍び寄る気配へと静かに語りかけた。
「―――そこを動くな。人の子よ。動けば……私の手元が狂い、この少女の肉体は塵と化す」
 再び目を開けると、呻き苦しむアテナの苦痛に満ちた表情を満足そうに見つめながら、目当ての品を探すように弄り始めた。
「―――アテナから離れろ」
 小宇宙を高め臨戦態勢でありながら、深い海底のように静かな低い声が発せられた。
「…サ……ガ…」
 さわさわとそよぐ風に青銀の髪を緩やかに舞わせ法衣だけを纏う姿に、苦しみに耐えつつ、アテナが名を呼ぶ。
「この結界に忍び込むとは。アテナの聖闘士の中にも神に等しき力を持つ者がいるということか」
 黒曜石の瞳はアテナの身体に差し入れる手を見つめたまま、くくっと低く忍び笑いをする。
 一瞬の隙を狙いつつ、高まっていく小宇宙がやがて蒼い炎となり、サガを包んだ。
(闇の因子の元凶は、この男……)

 星は告げた。
 闇の因子―――凶神は赤き月満ちる時、現れ出でると。
 どんな手をもってしても、その侵入は防ぐことはできないと。
 それでも、女神を守らなければならない。
 命を賭して守らねばなるまい。
 それが己に与えられた運命ならば。
 そして、この花園の主のためにも。

 背筋を戦慄が走る。恐怖心はない。寧ろそれは殉じることへの喜びとも言える。
「女神よ、我が命を貴方に捧げましょう……」
 小さな呟きはアテナの耳には届くまい。それでいい。彼女が知る必要はないのだから。

 女神よ。
 貴方は聖闘士の命を儚む必要はないのです。
 女神よ。
 私たちはただ、尊き貴方を守りたい。

 青銀の長い髪が静かに吹く風にそよと靡いた。
 臨界まで高められた小宇宙は、人の領域を超えていく―――

 サガの決意を感じ取ったアテナは瞳を瞠り、清らかな滴を毀した。

 ああ、サガ。どうして?
 貴方を守ってくれる聖衣はないのに。
 蒼白く輝く透明な小宇宙は、
 誰よりも力強く、美しい。

 けれども、ああ、サガ。
 この神に近づいてはいけない。
 貴方の尊い命が消えてしまう。
 たとえ貴方でも敵わない。
 人の子である、貴方の力では。

 ああ、サガ。
 尊い命を散らせないで。

「サガ、逃げなさい……逃げて…ああぁぁーーー!!」
 白く細い首を仰け反らせ、小刻みに身体を震わせるアテナの身体から、目も眩むほどの光が発せられる。ずるりと引き抜かれた男の手には輝く光の源があった。長い藤色の髪が切なげに空を舞いながら、大地へと沈んでいく。
「アテナーーっ!」
 その瞬間、サガの小宇宙が爆発的な加速度をもって、男に向かって放たれた。蒼い閃光が花園を駆け抜ける。巨大な蒼白く輝く光の球体は凶神を飲み込み、衝撃風が沙羅双樹の木をなぎ倒す。
 蒼き炎と化した光は花園に広がり、天を揺るがした。



作品名:比翼連理 作家名:千珠