比翼連理
24. 希望ノ種
-1-
曇りなき天空の蒼い瞳と暗黒を閉じ込めた黒曜石の瞳が交錯する。シャカの身体を刺し貫くはずの杖はピタリと空中で留まった。
「なぜだ…なぜ、おまえは目を逸らさぬ?」
呻くように言葉を発した後、シャカの目前にあった白き杖はすうっと消えた。
プロメテウスがゆっくりと手を伸ばす。その指先には僅かな震えが伴っていた。
しかし、伸ばしかけた手はシャカに触れることなく刹那の間を空中に漂わせた後、ぐっと拳を握り元の場所へと引き戻された。
「―――ヘリオス!」
やや強い口調で名を呼びながらプロメテウスは踵を返すと、シャカに背を向けた。
ざっと流れる漆黒の髪を目で追いながら、ふらつく足元を叱咤するようにシャカは立ち上がるが、鉛のように重い身体はまるで自分の身体ではないようにシャカは感じていた。
「吃驚するじゃないか、急に呼び出したりして。なんだい、一体?」
音もなく現れた黄金色に輝く青年がプロメテウスの前に立った。
「そこにいる者を例の場所に連れて行け」
一瞬、怪訝そうに眉を顰めたヘリオスは「いいのかい?」と確認を取るが、プロメテウスは返事を返さず、厳しい表情のまま青年の横を素通りしていった。
その後ろ姿を見送りながら、ヘリオスは小さく肩を竦めるとシャカの方に振り返りやんわりと笑みを零した。
「では、麗しき人間よ。僕と共に行こうか?」
「……!?」
腕に触れられた瞬間、激しい衝撃がシャカの中を駆け巡り、ぐらりとヘリオスの腕の中に倒れこんだ。
「ああ、ごめんごめん。いささか強すぎたかな?しかし、テミスをあのような無残な姿にするほどの力を出されては困るからねぇ」
にっこりとあどけない笑顔を浮かべながらシャカを抱えこむ。そして後ろを振り返り、プロメテウスの姿がないことを確認するとヘリオスは緩やかな笑みを浮かべた。
苛む苦痛に美眉を寄せるシャカの顔をまじまじと見つめながら、囁くように耳元に口元を寄せる。
「ちょっとツライかもしれないけれど。少しの間辛抱して貰うよ。僕の言っていることはわかるね?意識までは失くしてないはずだから」
さらりと流れる金色の髪を気持ちよさそうに掬い取る。
「かわいそうだけれど、君が人間のままでは僕としては困るんだ。ペルセプォネ、君が地上から奪われたあの時を僕は知っていた。冥王が君を攫う瞬間を見ていたから。そう――ただ見ていただけ。テミスに言われていたからね。プロメテウスはそんな僕を許さなかったよ。それがどんなに恐ろしいことだったか君にはわかるかい?」
愛でるような眼差しを向けながら、両手でシャカを抱きかかえた時に背後から耳慣れぬ声が聞こえた。
「そんなこと、シャカにはまったく関係ないでしょう?」
背中に冷ややかな言葉を投げつけられたヘリオスは驚きもせずに、むしろ笑みを浮かべるように柔らかな表情で振り返った。
「―――ふうん。ちょっと変わった毛色をした人間って君のことか。メノイティオスを上手く閉じ込めたのは褒めてあげたいところだけど、爪が甘いと思うよ?」
甘ったるい少年のような笑顔を浮かべながら声の主を見つめる。
「アテナの聖闘士と聞いているけど、アテナは君の行動を許しているのかい?」
「貴方には関係のないことです」
じりじりとにじり寄る聖闘士を冷ややかに見つめる。
「念動力に長けているらしいね?攻防兼ね備えた技も持っている。そして冥王の加護も受けているんだね。どうして、アテナの聖闘士が冥王の加護を受けているの?アテナと冥王の確執はきみも重々承知しているだろうに。この人間がそんなに欲しいの?」
蔑むようなそれでいて楽しむような笑顔にムウは眉根を寄せる。柔和な笑みを浮かべる目の前の男はその柔らかな笑みとは対照的にひどく危険な香りを全身に身に纏っていた。
「わかるんだね?君には。大概はこの笑顔で騙されてくれるんだけどなぁ……ちゃんと相手を見る目を持ってる子は好きだよ。ご褒美にこの人間の腕だけでもあげようか?」
妖しく瞳を光らせた男は本気でシャカの腕をもぎ取るつもりなのだとムウは察知する。
「おやめなさい!プロメテウスとやらはそんなことを許すのですか!?」
「僕がそのプロメテウスだよ?」
冗談めかしたような口ぶりで言いながら、ムウがどう反応するか待っているようである。
「いいや、貴方は違う。あの紅き焔の神ではない。彼ほどの熱量も、ましてや激しさも貴方からは微塵も感じられないのだから」
だがそれと同時に安易に打ち倒せる相手ではないこともムウは感じていた。
「要するに格下ってことを言いたいわけ?」
別段気にしている風でもなく、笑い声を上げるとくいと顎をしゃくった。
「どうでもいいけどね。ねぇ、きみ。本当にいらないの?腕だけならあげてもいいのに」
くすりと嫌な笑い方をする男をムウが鋭い瞳で睨み付けると、「あ、そう」と残念そうに首を傾げた。ふざけたことばかりを言う男だとムウは思いながらも、一瞬の隙さえも与えようとしないことに舌を巻いた。一挙手一投足を見つめるアイスブルーの瞳。
「貴方は何者です?なぜプロメテウスにつくのです?」
「きみは知る必要はないよ…知ったところで、どうにもならないしね」
ふっと笑いかけた男の顔が急に険しくなる。周囲の空気が一気に変化したのを感じた。ムウ自身もその変化を感じ取る。
数多の屍を越えてこの場に向かっている死の気配。そしてもう一つ、聖なる光りを纏う力の気配。
「ふ…嫌な者たちが近づいてきた。いよいよ時が満ちる、か。悪いけど、きみとのお話もここまで」
突如ムウの目を焼くような光が当たり一帯を覆い尽くした。
「―――待ちなさいっ!」
後を追うようにムウも光り弾ける大気へと溶け込み、その場から姿を消した。