比翼連理
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穢れなき闇の主―――冥王ハーデス。
憎くて愛しい、その尊き存在は『絶対』。
その凍る眼差しの中に映し出されていたのは金と銀に輝く、同じ姿をした兄弟だけだった。だが、いつしか凍る眼差しが融けていくのを感じた時、闇の主の凍る瞳に淡い光りと悲しみが宿った。
邪魔な光りの存在は神経に障り、双子の苛立ちを募らせた。
『あの闇はわたしたちのもの』そう囁いた眠りの神。
『闇を喰らうのはわたしたち。もう十分なほどに熟した闇を喰らおうか?光りが闇を覆う前に』
甘く囁く言葉。秘めた想いの彼方を遠く見つめるかのような黄金の瞳。片翼の願いは己の願い。そして己の願いは片翼の願いでもあった。
『おまえも欲しいだろう?ペルセプォネが。どんなに上手く隠してもわたしにはわかっている』
―――欲しい?欲しいのだろうか?俺は。
片翼の鋭い視線を誤魔化すことはできなかった。
あの白き指先が額に触れた瞬間、熱を感じたのは事実。冷たく醒めた蒼い瞳の奥に潜む、凶暴な破壊の力が己の身体を貫いた時、駆け巡る衝動の波に攫われそうになった。
己とは真逆の再生の力を持つ疎ましい存在でしかない者にも関わらず、奥底に秘められた破壊の力に惹かれたのだ。
恐ろしいまでの力の存在を敏感に感じ取ったその時、囚われてしまったのかもしれない。眠りが闇に囚われたように、死は狂おしいまでの凶暴な破壊の力に囚われたのだ。それは決して認めてはならない事実でもあった。
囚われた双子は対なる翼のようなニ神の存在を手に入れるためにテミスの策略に手を貸した。タルタロスの怪物たちを解き放ち、冥界の秩序を乱した。
冥界を統べる王は冥闘士を率い、怪物たちの征服に当たった。
美しい闇が輝きを放つのを遠く眺めながら騒動に紛れ込んだテミスの刺客が一歩一歩と近づいていくのを逸る鼓動を宥めながらその瞬間が訪れる時を待っていた。
『神殺しの剣』を妖しく煌めかせながら、地上から紛れ込んだ人間が躍り出た。冥闘士の一人が冥王に叫ぶ。
瞳を見開く冥王に向かって人間は奇声を発しながら剣で冥王を貫いた。そう、貫いたはずだった。
―――なぜ?
そう思ったのは死か眠りか。それとも冥王か。
『神殺しの剣』は冥王を貫くことなく、冥王の前に躍り出た金色の身体へと呑み込まれていった。輝く光の剣が即座に振り下ろされ、テミスの刺客に断罪を下した。
鮮やかな太刀筋をうっとりと銀色の瞳で見つめた。
そして。
崩れ落ちていく金色の身体に手を伸ばす冥王の姿を見た。差し伸べた冥王の手は届かない。悲痛な冥王の叫びが耳に届き、微かな胸の痛みを感じた。
傍にいた金色の瞳が感情を映すことなく冥王を見ていた。
淡く光を伴いながら舞い散っていく光りの粒子をひどく美しいと感じながら、発する胸の痛みに驚いた。
最後に残った核がひときわ眩しく閃光を放ち、残光が完全に消失した後に残ったのは…..深い闇と小さなペンダント。そして光の剣のみだった。
冷たく研ぎ澄まされた深い闇が冥界を覆い尽くしていく瞬間を全身で感じ取る。今までにないほどの美しい闇が生まれた瞬間だった。
闇を惑わす光の存在はもうない。己を惑わす破壊の力の存在はもうないのだ。双子は薄く笑いながら闇の下へと傅いた。
ただ闇だけを追い求め、その鋭い切っ先のような闇に刺し貫かれることだけを悦びとする日々が再び訪れたのだった。
遠い過去の出来事に想いを馳せながら、恍惚の表情で醜い闇の触手を薙ぎ払うと優雅にタナトスは空中に舞った。
―――さぁ、ハーデスさま。共に感じましょう。
命を切り裂くこの悦びの瞬間を。
怒号が飛び交い、鮮血が迸る。
惨劇の幕がいま再び上がろうとしていた。