Weird sisters story
Lachesis 5
まるで足が動かない。
レイはその場を、動けずにいた。
久しぶりに会った彼は、もうずっと、永遠に会えなかった人のように感じられた。
シンは暫くこちらを見つめていたが、ふっと微笑を漏らす。
「行くのか」
諦めにも似た声だった。
発したと同時に僅かに俯く。
トダカはレイの背中をそっと押した。
その力を借りて数歩、前に進み出たレイだが、それから先はまた動けない。
背後でハンガーのドアが閉まる音が聞こえてきたが、そんな事さえ気付かないくらいにレイは戸惑っていた。
「な、ぜ…」
かろうじで出した声音は、酷く頼りなく。
シンはそっと口を開く。
「トダカ一佐に、聞いたんだ」
グッとレイは言葉に詰まる。
余計な事を、と思わずにはいられない。
だが次に聞こえた言葉はあまりにも予想と違っていて。
「でも、何も教えてくれなかった」
驚きに、息を呑む。
「ただ、此処に来るだろうから…自分で聞けって言われたよ」
苦笑めいた笑みをつくる。
そんな表情さえ懐かしくて。
胸が詰まる。
「聞ける筈なんて…ないのにな」
「…ならば……そこをどけ」
レイは震える手を握り締めて、力を込めた。
動かなかった足を無理矢理に動かし、二人しかいない空間へと足音を響かせる。
シンは何も言わなかった。
外れた視線さえ、合わせない。
距離が縮まり、やがて影が交差する。
やっとの思いで通り過ぎたレイが、耐え切れなくて駆け出そうとした瞬間に。
背中に、暖かな温もりを感じた。
息が止まるくらいに、優しく抱きしめられた。
ずっと焦がれていた体温が、匂いが、鼓動が教えてくれる。
いまこうして回される腕は、シンのものだということを。
耳元に囁かれる言葉は嘘みたいに甘く響いて。
「好きなんだ…どうしようもないくらいに」
この身を、預けてしまいたい。
レイはもうどうする事も出来なくて、ギュッと瞳を閉じた。
「答えてくれなくても良いよ…ただ…覚えていて」
俺がお前を、好きだという事を。
これから先、どんな事が起ころうとも。
「忘れないから、俺は。お前のこと」
シンはレイの右腕を取った。
硬質なパイロットスーツを右手だけ外す。
僅かに見え隠れする傷痕に、そっと唇を押し付けた。
じんわりと、甘く痺れる。
「覚えていて、レイ」
声が耳を掠めると同時に、背中の温もりは離れていった。
ハンガーを駆ける足音が、遠く響いている。
振り返れなかった。
ただ、崩れそうになる足を堪えて、そっと瞳を開けて、己の手首を見た。
赤い痕が、傷を隠していた。
溢れたのは、涙だけではなかったのに。
やっぱり見当たらなかったシンを探して、ルナマリアは通路を歩く。
いい加減、マユが心配しているのに、と内心で軽く毒づいた。
「ったくもう……」
盛大な溜息を零して、夜の薄暗い通路を右に曲がる。
まさかこんな所に居るはずがないとは思うが、何処を探しても居なかったという事は、こういった普段滅多に通らない場所に居る可能性も高い。
人気のない通路を歩いて、どのくらい経っただろうか。
ふと、目の前に人影が見えた。
だがそれは、壁にうずくまっている。
驚いて駆け寄ると、それは紛れもない――。
「ザラ隊長!?」
アスラン・ザラが、壁に手をつき俯いている。
「何をしてるんですか!?まだ動けるような身体じゃないのに…!」
点滴さえも外したのだろう、動く度にどこか痛むらしく、息をすることさえままならない。
「早く、医務室に!」
彼の手を取り、進行方向とは逆に位置する医務室に連れて行こうとする。
だが、それは、彼自身によって遮られる。
やがて苦しげに、声が聞こえた。
「…イ、は、…こだ?」
「えっ?」
「レ、イは、どこに…」
「…レイ?」
意外な人名に驚きつつ、ルナマリアは記憶を探る。
だがいつも行動を共にしている人物でもあるまいし、その居場所は見当もつかなかった。
「あの、後で連れてきますので、今は早く医務室に」
「駄目、だ…は、やくしないと…」
アスランはルナマリアの手を振りきり、前へ進む。
しかし力が入らないのか、その場に崩れた。
「隊長!やっぱり」
言いかけた言葉は、突如鳴り響いた警報によってかき消される。
驚いて顔を上げれば、ブルーを保っていたランプが赤く切り替わる所だった。
『コンディションレッド、コンディションレッド、5番ハンガーにてブレイズザクファントムの無許可発進を確認。パイロットは発進可能な機体にてこれの逃亡を食い止めよ。繰り返す。……』
「ザクファントム…!?」
ルナマリアは思わず声を荒げた。
彼女の記憶の中には、あの機体のパイロットは一人しか居ない。
「逃亡って…!!」
困惑するルナマリアの傍らで、アスランは苦しげに、そっと呟く。
「止せ………レイ…」
言葉は誰にも届かずに、アスランの意識はそこで途切れた。
作品名:Weird sisters story 作家名:ハゼロ