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らんぶーたん
らんぶーたん
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小説インフィニットアンディスカバリー

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<三>


 ファイーナは走っていた。
 何度も砂に足をとられてこけそうになる。その度に焼けた大地に手をつくことになったが、今はそれも我慢するしかなかった。
 すぐ後ろには、涎を垂らしながら追いかけてくるモンスターがいる。牙と爪をむき出しにし、全身をバネのようにしならせながら疾駆するそのモンスターは、群れをなして狩りをする肉食獣が月の鎖の影響で凶暴化した姿だ。
 封印軍がやってくるという報せがショプロン村に入ったときに、村人の一部はフェイエールへ避難することになった。受け入れてもらえるかどうかはわからない。あわよくば救援を願いたいところだが、おそらくは駄目だろうということは、新月の民であれば誰でも容易に想像できた。それでも、事態は切迫していた。せめて避難民の受け入れだけでも、と淡い期待にすがるしかないというのが結論だった。
 ファイーナには幼い弟がいた。弟のことを考えれば避難するしか選択肢はなかった。どうしてこんな村に封印軍が、という疑問はとりあえず横に置き、着の身着のまま、水や食料をわずかに持って村から避難したのは数日前。履き古した靴や洗ったばかりのスカートは砂埃にまみれて汚れきっている。村がどうなっているかも気になっていたが、今はそれで足を止めるわけにはいかなかった。
 避難は順調にはいかなかった。比較的安全だったはずの道にもモンスターが現れ始めていたからだ。戦うすべを持たないファイーナたちが狙われれば、とにかく逃げるしかない。
 ファイーナは懸命に走っていた。
 照りつける太陽は容赦を知らない。
 息が苦しい。
 身体が重い。
 けして身体の強い方ではないファイーナは、次第に村人たちから遅れ始めていた。
 そして、再び砂に足をとられる。
 疲労から身体が思うように動かず、手をつくのに失敗して、ファイーナは焼けた砂の中にそのまま突っ伏してしまった。
 モンスターの咆哮が、さっきまでとは比べ物にならないくらいに近くに聞こえる。
 もうどうすることもできないのか。
 走馬灯のように記憶が甦る。そこに映るのは弟の姿ばかりだった。好きな男の子の姿も思い浮かべられないまま死んでしまうのかと思うと、差し迫った危険よりも、そのことにぞっとした。
「レイム……!」
 身を硬くし、弟の名を呼ぶ。
 嫌だ。まだ死にたくない!
 ……が、いつまでそうしていても、モンスターの牙がファイーナを襲うことはなかった。
 代わりに、獣の咆哮が再び聞こえた。
 ……違う。
 咆哮というよりは……悲鳴?
「いやー、間に合った間に合った」
「ほら、バカペル! まだ終わってないわよ!!」
「はぁー、まったく、人使い荒いんだから……」
 ファイーナが目を開けると、モンスターの姿の代わりに、そこには一人の少年の顔があった。のんびりとした声の主はその少年で、すぐ後ろにはモンスターが巨体を横たえて動かないでいる。少年の年頃は自分と同じくらいだろうか。夕日のように赤い瞳が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「大丈夫?」
 差し出された少年の手をとり、おずおずと立ち上がる。周りを見ると、ファイーナたちを追いかけていたモンスターの群れは、見ず知らずの剣士や魔法使いによって蹴散らされていた。
「さすがは光の英雄様ご一行だよね、うん」
 満足げにうなずきながら、少年は言う。
 光の英雄……。確か、月の鎖を斬って世界を回っているという解放軍のリーダーがそう呼ばれているはずだ。先日もブルガスで鎖を断ったという話を聞いた気がする。彼らがその解放軍なのだろうか。彼はまるで他人事のように言っているが、その一団と思われる少女に名前を呼ばれていたはず。……そうだ、バカペルさん。彼らの仲間じゃないのだろうか……。
 思考が緩慢だった。全身を支配していた恐怖が抜け、枷が外れたように疲労が吹き出してきたせいだろうか。いまだ混乱する頭はよく状況を理解できないでいるが、なんとかそれを整理しながら、ファイーナは戦いを遠くに見ていた。
 よく見れば、モンスターを蹴散らしている人たちの中には子供も交じっている。あの年で戦えるということは相当優秀な月印使いなんだろうな、とぼんやり考えたファイーナは、その子供たちの姿に一緒に逃げていたはずの弟の姿を思い出した。
 その弟がいない。
「レイム!」
 思わず名前を叫び、あたりを探す。だが、見つからない。
「レイムって?」
「弟なんです。まだ十歳にもならなくて、一緒に逃げていたはずなのに見あたらなくて……。どうしよう……どうしよう……」
「弟さんかぁ……ねえ、あの子じゃないかな?」
 少年が指さしたのは、先ほどの子供たちの方だった。その子供たちの後ろ、少し離れたところで、彼らを応援するようにはしゃいでいる子供の姿が見える。レイムだ。
「レイム! 無事だったのね、良かった……」
 ファイーナの心配とは裏腹に、レイムはいつもどおり無邪気なままだ。
 安心したとたんに身体から力が抜け、思わずその場にへたり込む。スカートが汚れるのも、いまさら気にしても仕方なかった。
「こんなところで座ってると危ないよ。向こうにみんな集まってるからさ」
「あっ、はい。ありがとうございます。ええっと……バカペルさん?」
「あはは……カペルです。よろしくね」
「ご、ごめんなさい! あの、その……」
「いいよ、別に。そう呼ばれるのにも、もう慣れちゃったから……」
「えっ?」
「な、なんでもないよ。ええっと……」
「ファイーナです」
「ファイーナさん、ね。じゃあ、アーヤがうるさいから、僕はもうちょっとあっちを手伝ってくるよ。あの岩陰のところに君の仲間は避難してるから、とりあえずそこで待っててね」
「はい」
 走り出した少年は一度立ち止まると、こちらに手を振ってきた。戦いの最中だというのに彼は笑顔だった。その彼の笑顔を見ていると不思議とこちらも笑みがこぼれてくる。
 ようやくはっきりと実感がわいてきた。
 助かったんだ……。


 オラデア砂丘には、岩壁をくりぬいたような自然のトンネルが散在している。普段は太陽の光をしのぐための通路として使われているそれも、今は新月の民の簡易の避難所となっていた。
「どーも。治癒術師のミルシェでーす。怪我した人がいたらおっしゃってくださいね。お姉さんが治しちゃいますよー」
 解放軍の一人らしい女性が来て笑顔を振りまいているが、まだ状況がよく飲み込めないでいる村人たちは、女性の提案にどう答えていいかわからずに戸惑っている。
「どうしたんです? 怪我人、いないのかしら。それはそれで嬉しいけど、お姉さん、ちょっと寂しいかな……」
 何故か落ち込み始めたミルシェという女性は、そう言いながら村人たちの間を行ったり来たりし始めた。怪我人を見つけると、些細な傷でもすぐに治療に入る。治癒の光を見て複雑な表情を浮かべる村人たちを意に介さず、ただ怪我を治療することに集中している姿は、女の目から見てもきれいな人だと思えた。
「姉ちゃん、聞いた? あの人たち、解放軍なんだって。すっごいね!」
 解放軍の戦いを間近で見ていたせいか、弟のレイムは少し興奮気味だ。
「……そうね」