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らんぶーたん
らんぶーたん
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小説インフィニットアンディスカバリー

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 だから、大切なものと急に言われても困る、というのが正直な気持ちだった。自分にとって大切なもの。それが何であるかがわからない。見つかるのかもわからない。もしかしたら、これからもずっと……。
 ふと、この戦いに巻き込んだ張本人の顔が脳裏をよぎった。艶やかな黒髪を揺らしながら、頭の中のアーヤがいつものようにプリプリしている。
『後ろ向きに考えるのはやめなさい。ねっ、バカペル』
 そう言われた気がして、カペルは思わず苦笑した。
 彼女らしい言いぐさだな……。
 そう思える自分に出会ってからの時間の密度を再確認すると、すっと軽くなった気分が「やれるだけやってみます」という言葉を続けさせた。
「ああ、それでいい」
 これで話は終わりだ、とシグムントは腕の怪我に視線を落とした。
 シグムントが黙々と治療を続ける中で、ただ時間と沈黙が降り積もっていく。
 思えば、シグムントは不思議な存在だった。自分と瓜二つで、たぶん年齢もさして変わらないはず。にもかかわらず、出会い、ともに戦う中で、常に見守られているという安心感がカペルにはあった。自分とは違い、世界と向き合ってきた生き方によるものなのか、それとも生来の何かがそう思わせるのか。それはカペルにはわからないが、「おまえを守る」と言われたときの温かな感触だけは忘れないだろうと思える。これから先の戦いを思うと不安にもなるが、同年代とは思えぬ落ち着きぶりのシグムントに見られているのなら、安心できてくるから不思議だった。
 さっき言ったとおり、やれるだけやってみよう。


 シグムントの治療の間、やることのないカペルはぼんやりとあたりを見回した。そこが落下しているときに見つけたテラスだとはすぐに判別できたが、それと塔の外壁、青い空以外には何も見つからなかった。はるか上に塔の頭頂部も見え、治療が終わればそこに向かうのだろうかと確認したときに、一つの疑問が頭をもたげてくる。
 あるべきはずの出入り口が見あたらない。
「ここから中に入れるんですかね……」
「おまえが寝ている間に一通り見て回ったが、出入り口らしきものは無かったな」
「ええっと、つまり、どこにも行けないってことですか?」
「そうなる」
 あっさりと言うシグムントとは対照的に、カペルは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。「エンマがじきに見つけてやってくる。それまではここで待機だ」と言われても、出入り口のないこの場所からどうやって出るというのか。能面の壁を見上げ、それをロープでつり上げられる様を想像してカペルはぞっとした。
 そわそわし出すと、今まで気にならなかった沈黙が気まずいものに感じられ、行き場を失った視線が泳ぎ出す。何か、何か会話を……。
「あ、あの、砂漠で聞かせてもらった曲、教えてもらえませんか?」
 泳いだ目が懐のフルートを見つけ、カペルはすがるようにフルートを取り出した。
 治療を終え、こちらを見ていたシグムントの顔にわずかに驚きが浮かんだが、それもすぐに消え、「いいだろう」と答えた彼にカペルはフルートを渡す。
 あの後も、一人で何度か反芻した曲。不思議と耳に馴染んだフレーズはだいたい把握していたが、仕上げにもう一度、シグムントが吹くのを聞きたかった。
 自分で吹いたときよりも、不思議とシグムントが吹いた方が暖かい印象になる。どこか包まれているような感覚は、自分で吹いてみたときには無かった感覚だった。それは曲の持つ魅力なのか、シグムントの力量なのか。以前にはわからなかったそれが、今ならわかる気がする。旋律や技術ではなく、たぶん、シグムントが吹いているからそう感じるのだ。
 返されたフルートをいじりながら、その確信をもう一度見つめ直す。やれそうだと感じたカペルは、「いきますよ」と告げてフルートを口元にあてがった。
 塔を吹き上げる風に混じって、音色がいつもより温かく空気を揺らすような気がした。
 その直後だった。
 甲高い金属音のようなものが、まるでフルートに共鳴するように遠くに鳴ったのが聞こえ、カペルは思わず演奏を止めた。
「シグムントさん、今のって……」
「カペル、続けろ」
「えっ?」
「吹きながらついてこい」
「は、はい」
 演奏を再開すると、また共鳴音が鼓膜を震わせ、シグムントがそちらに向かって歩き出す。近づくにつれ共鳴音は大きくなり、シグムントが立ち止まった場所で、それは強烈な不協和音に変化した。
 すると、顔をしかめたカペルの目の前で、外壁が蜃気楼のように揺れ、すぐに不協和音と一緒になって立ち消えた。
 壁に穴があいた。
 いや、というよりは、そこに元々あった出入り口が姿を現したといった印象だ。
「月印による結界、か」
「結界?」
「我々を閉じ込めるために作り出した幻覚のようなものだ。それが消え、出入り口が現れた」
「この曲が、結界を消したってことですか?」
 俄かには信じられない話だが、目の前の結界が消えたのは事実で、演奏を始めた途端に反応があったのも確かだ。破魔の力を持った曲? でも、それならシグムントさんの演奏のときには何も無かったのは何故だろう。
「曲だけじゃない。そのフルートと、おまえだ、カペル」
「僕?」
「ああ、お前の演奏だから、月印の力が解けた」
 そう言われても実感などなく、青龍のレリーフをあしらったフルートに視線を落としながら、きっと青龍様の力なのだろうと一人で納得したカペルは「そういうものなのかな」と曖昧に呟いた。
 いずれにせよ、出入り口は見つかった。束の間の休息は終わり、戦いが再開される。壁にぽっかりと浮かび上がった穴が、カペルの不安を見透かすように暗く揺れ、フルートをしまった手を無意識に剣の柄に伸ばさせた。
 そのカペルの様子を見ていたのか、シグムントがカペルの肩を掴んだ。
 そうだ、この人が守ってくれるのなら……。
 騒ぐ心が凪ぎ、身体の力が抜ける。
 それを察したようにシグムントが手を離すと、「いい演奏だった」と告げながら身につけていたペンダントを外し、それをカペルに差し出した。
「あの、これ……」
「お守りだ。持っていてくれ」
 まだシグムントの温もりを残したそれには、見たことのない紋章が刻まれている。それでも大切なものなのだろうことくらいはわかり、身につけるのは悪いような気がしたカペルは、そっとそれをポケットにしまった。
 戦いが始まる。それ以上でもそれ以下でもなく、ほどけた感情の澱をポケットに確かめたカペルは、すでに歩き出していたシグムントの背中を追いかけた。


 先走ったことに後悔はない。
 一人になったことで逆に冷静になった自分を確かめたエドアルドは、転送陣から一歩、薄暗い回廊へと足を進めた。静まりかえった回廊で鼓膜を刺激するのは自分の足音だけ。それがかえって罠の存在を疑わせる。
 シグムント様をお守りすると決めていたにも関わらず、それがかなわない状況に焦りがあった。だから、ニエジェランにいいようにあしらわれてしまった。
 だが、よくよく考えればあの方が負けるはずはない。たとえカペルが足手まといになってもだ。冷静になった頭がそう断定すると、もう一つの目的を果たさなくてはならないという思いが頭をもたげてきて、剣を握る手に力が入る。