町内ライダー
その5
穏やかな日差しは、やや黄色みを帯びた暖かい色合いで、柔らかく室内に差し込んでいる。
微かに、ぽたりぽたりと、雫の垂れる音がしている。買い置いてあるお気に入りのアメリカンの香ばしく甘い香りが、濃く漂っていた。
本来ならここで気取って、気怠い午後だぜ……、と口にする筈の男は、ぐったりと上半身を机に預けていた。
「帰りてぇ……」
ぼそりと呟くが、誰もそれに返事は返さない。彼も返事など期待していないのだろう、顔を上げなかった。
「いい加減諦めればいいのに。考えたって仕方ないんだから」
室内の雰囲気にはやや不釣り合いな、甲高い、所謂アニメ声で、鳴海亜樹子は感想を誰に言うでもなく漏らした。
その言葉を聞き咎めたのか、左翔太郎はむくりと頭を上げると、渋い顔で亜樹子を睨み付けた。
「うっせぇな! 俺は風都を愛してるんだ、あの街以外に住む気はねぇ! さっさと帰りてぇんだよ! 大体、朝起きたら風都じゃない所に事務所ごといて、フィリップにも何が何だか検索出来ないなんておかしいだろうが! 俺には、お前等がそんなのほほんとコーヒー入れてる事が理解できねぇよ!」
思わず翔太郎の声は、荒く大きくなった。亜樹子はちょっとむっとした顔をして、ぷいと目線を逸らした。
「焦っても何も分からん。少し落ち着いたらどうだ」
ドリッパーに湯を注ぐ手を止めて、照井竜が翔太郎を呆れたように見た。
「大体、何で照井までいるんだ……ほんっと意味分かんねぇ……」
そう。今日の朝、いつものように目を覚ますと、何故か事務所に照井竜がいた。何か用かと尋ねると、用はない、何だか分からんがいつの間にかここに居た、と妙な答えが帰ってきた。
ワケ分かんねぇな、と呟きながら、玄関先の新聞を取り、新鮮な空気を吸おうとドアを開け外に出ると、見たこともない風景が広がっていた。
隣のボウリング・ビリヤード場が、何故か、バッティングセンターになっていた。電信柱についている広告の下の住所を見ても、見たことのない地名。
照井は落ち着いているし亜樹子は諦めている。それが翔太郎は気に入らない。
それにも増して気に入らないのが「風都」という街が存在しない、という事だった。地図を見ても、インターネットで調べても、そんな街は一切ない。
「考えて分からん事を考えていても仕方がないだろう。フィリップの検索で、絞れないのでも閲覧禁止でもない、該当項目がないんだぞ。俺達で分かる事とは思えんがな」
照井の言う事は尤もだった。
検索で絞れないのではなく、閲覧すべき記憶がないのだ。絞れないのなら、他のキーワードを探せばいいが、これでは打つ手がない。
検索自体が出来なくなったという事ではないようだった。朝起きたら鳴海探偵事務所が風都ではない場所に移されていた、検索結果ゼロになってしまうのは、その事象に関する検索だけだ。
以前の事件のように、ドーパントの攻撃で夢にでも閉じ込められてしまったのかと思い、サイクロンジョーカーエクストリームにも変身してみたが、何も起こらなかった。検索も依然として何ももかからない。
全てのドーパント能力を無効化するはずのエクストリームの力が無意味なら、この現象にドーパントが絡んでいるとか、組織が介入しているという可能性はかなり低い。それはいいのだが、原因が掴めない事に翔太郎は苛立っていた。これならまだドーパントの攻撃だった方が納得もいくし行動もできる。
「まあこれでも飲んで少し落ち着け」
照井が机にコーヒーカップを置いた。サンキュ、と浮かない声で礼を言って、翔太郎はコーヒーを一口啜った。
「一つだけ、新しい事が分かったぞ」
「何だ?」
照井の言葉に翔太郎ははっと顔を上げた。照井は、ジャケットの内ポケットから警察手帳を取り出して開いた。
「俺の所属が、警視庁未確認生命体対策班第一班、となっている。聞いたことのない部署だ。俺はこれから警視庁に行って、検索のキーワードになるような事がないか調べてくる」
表情は動かさず照井は静かに告げた。いけ好かない所もあるし切れると手に負えないが、基本的には沈着冷静、頼りになる男だった。
「おう……じゃ、俺は、ここら辺でもう少し、情報を集めてみる」
ここが東京都内という事までは分かっていたが、住所は、聞いたこともない地名だった。知らなかったのではない。それまで、そんな地名は存在していなかったのだ。それは、検索で確認できた。
探偵には不可欠の人脈や情報網もここでは全く使えない。ウォッチャマンもクイーンとエリザベスも、連絡がつかなかった。
翔太郎にとっては、手詰まりとも言える状況だった。足で稼ぐにしても、手掛かりが全くないのだ。
出来る事といえば現状確認位だろう。翔太郎が溜息を吐くと、三回ドアがノックされ、静かに開いた。
「あの、ここって、探偵さん、ですか?」
ドアの隙間から中を覗いたのは、小さな女の子だった。亜樹子が言葉に頷くと、少女はほっとしたように笑顔を見せて、中に入ってきた。