町内ライダー
結局、次の非番の日が土曜日で学校も休み、丁度料理教室が行われる日だったため、明日夢に付き合ってもらい、ヒビキは料理教室の体験入学をする事となってしまった。
それもこれも、明日夢が妙にやる気だったからだ。
寧ろ俺が明日夢に付き合ってるって思えばいいんだ。そう考えると少し気も楽になった。が。
七八人居る生徒たちの視線は彼の心を波立たせた。
そう、彼女たちは、日中の時間を持て余す主婦。ヒビキと明日夢の関係だとか、ヒビキの年齢や家族があるのかなど、様々気になる事があるらしい。隠す気のない音量でひそひそ話を繰り広げている。
「……やっぱ、こういう所は落ち着かないなぁ」
「ヒビキさんでも、そういう事ってあるんですね」
「そりゃそうだ、人間だもん」
溜息を吐いたヒビキを見て、明日夢が可笑しそうにくすりと笑った。
笑い事じゃないよ、と言いたかったがそんな元気もなく、ヒビキはもう一つ溜息を付いた。
やがて、主婦たちのひそひそ話が止んだ。教室として使われている公民館の調理実習室へと、二人の男が入ってきた。
彼等はどう見ても、この場にヒビキ以上に似合っていなかった。
二人とも歳の頃は二十代後半程。二人ともすらりと背が高く、二枚目、イケメンと言ってよさそうな整った顔立ちをしている。
片方の男は伸ばした前髪の奥から、実直そうな目が覗いている。きりりと締まった表情が、堅物という雰囲気を醸し出している。にも関わらず、身につけたエプロンは、生成に紅のダイヤが格子模様を描いているファンシーなものだった。例えるなら、ショッピングモールの一階に入っているファンシーショップで、回転ハンガーラックにかけられて千円くらいでセールされてそうな、そんな。そして頭に付けた三角巾もおそろいの柄だった。
もう一人の男はあからさまに異様だった。何故タンクトップと革コートの上にエプロンをしているのか。エプロンは黒地に白で骸骨のワンポイント。ブーツの拍車が歩く度にがちゃりがちゃりと音をたてる。彼は一体ここに何をしにきたのだろう。
「矢車……今日こそは負けんぞ。津上先生の賞賛のお言葉は俺が頂く」
「どうかなぁ……今日は俺の得意とする中華料理だ、貴様に勝ち目があるとは思えんなぁ!」
ダイヤの方の男はいかにも闘志に満ちていたが、骸骨の方が分からない。だらりぐたりとして一見やる気がなさそうなのに、言葉の内容は勝つ気満々。
というか彼等は何と戦っているのか。
主婦たちの視線は二人の男に移っていた。熱い視線と黄色い声。二人は異様さにも関わらず、この料理教室のアイドルらしかった。
二人の男は、視線など一向に気に掛ける様子もなく、ばちばちと視線を戦わせている。
暫くすると、また二人の男が入ってきた。顔の丸いにこやかな青年と、まだ青い柿を齧りでもしたようなとてつもなく渋い顔をした男。
二人は丁度教壇のようになっている、前方の台の前に立った。
「皆さん、お待たせしました。始める前に、新しい仲間を紹介しますね。芦河ショウイチさん、警視庁勤務の超エリート、何と独身です!」
「ばっ……余計な事まで言うな!」
丸い顔の方の言葉に、主婦たちが一斉にどよめく。紹介された男は、年齢はヒビキと同じ位か少し下だろうか、きりりとしたスマートな顔立ちだ。エリートしかも独身と聞いて、女性陣が騒ぐのも無理はない。
ただ分からないのは、超多忙な筈のエリートが何故、公民館の料理教室に来ているのかという事だ。
「あっでも、彼女がいるみたいなんで、皆さん程々にしてあげて下さいね」
「そういう事も言わなくていい!」
気の毒だが、芦河はどう見ても遊ばれている。四十代後半ほどの、見事なパーマを青く染めたご婦人が、あらぁ残念と豪快に笑っている。
芦河はツッコミにも疲れたのかぐったりと俯いているが、隣のこの教室の主、津上翔一シェフは、にこにこと人の良さそうな笑みを絶やさない。
「じゃあ芦河さんは、今日初めてだから、体験入学でいらしたお二人と一緒にお願いしますね」
「…………分かった。もう煮るなり焼くなり、どうにでもしてくれ」
「やだなぁ、今日は芦河さんが煮たり焼いたり揚げたりするんですよ? 茄子とかを」
とてつもなく噛み合わない会話を続けながら、津上が芦河を、ヒビキ達がいるドア側前方のテーブルへと誘導する。
テーブルは全部で前列・後列三個ずつ、合計六個あり、前列窓側に髑髏の男、真ん中にダイヤの男、壁側にヒビキ達。後列は窓側と真ん中で主婦たちが二組に分かれて陣取り、後列ドア側は使われていない。
「……あの、あのお二人はグループに入らないんですか?」
「あー、矢車さんと橘さん。あのお二人は、料理を習いに来てるっていうより、対決しに来てるみたいだから、一人でやりたいんですって。特に矢車さんとか、別に俺が教える事何もないんですけどね。あっそれより、今日はどうぞ宜しくお願いします。安達明日夢君と、ヒビキ……さん? 楽しんでくださいね」
明日夢の質問に対する答えは意味が分からなかったが、実に人の良さそうな笑顔で挨拶されて、明日夢とヒビキも、どうもどうもとお辞儀を返した。