町内ライダー
mald‘amourと看板に書かれたその店に、一人の男が入ってきた。
奥のテーブルに座った五代が手を振ると、足早に歩いてきて向かいに腰掛ける。手を振られたから足を速めたのではない、彼はいつでも、歩くのが人より速いのだ。職業柄もあるのかもしれない。
「遅くなって済まない。君から呼び出すとは珍しいな」
「お忙しいのにお呼び立てしてすいません」
五代があまり申し訳なくはなさそうに言うと、向かいの一条薫は苦笑して、お冷を運んできたマスターにコーヒーを注文した。
近くにあって気になっていたが、入る機会がなかった店に、いい機会だからと入ってみて正解だったと五代は思った。コーヒーは絶品だし、店内も落ち着いた雰囲気で寛げる。常連客らしい壮年の男が、マスターと体脂肪率について話している。
奥の、五代が腰掛けている席の近くの壁には犬小屋がありレトリバーがいるが、今は昼寝中のようだった。
「電話でも言いましたけど、ちょっと一条さんに聞きたいことがあって……」
「何だ?」
「あの……ワーム、って、知ってます?」
その言葉を聞いた途端、幾分は柔らかだった一条の顔は、一転して厳しいものへと変わった。
一条は無言、答えを待つ五代が一条の顔を伺い見る間に、注文したコーヒーがテーブルに置かれた。
「……君は、会ったのか?」
「はい、少し前に」
「よく生きていたな」
「ある人に助けてもらったんです」
短い問答の後、一条はやや表情を和らげて、息を一つ吐いた。コーヒーを一口啜ると、再び口を開く。
「最近、未確認以外にも、多数の種類の怪人が確認されている。ワームはその一つだ。我々もまだ詳しい事は知らないが、ある筋の情報によれば、クロックアップという特殊能力を使いこなすらしい」
「クロックアップ……?」
そういえば、神代のプロテクターからそんな電子音声が出ていた事を五代は思い出した。
「我々がいる通常の時間流よりもより速い時間流に乗る、と説明されたが正直よく分からん。目視・捕捉が不可能な程の高速移動を可能にする能力らしい。それを使われれば、我々からはワームの動きを捕捉する事は不可能になる。そして、クロックアップ能力を使いこなすパワードスーツを擁してワームと戦うZECTという組織がある、という事までは分かっているが、それ以上の事はこちらでも分からない」
「……ワーム、とかいう奴等の他にも、まだ別の奴等がいるんですか?」
「動きは緩やかだが、少なくとも四・五種は、未確認ともワームとも異なる行動様式の怪人を確認している。詳しく話せる段階ではないんだ、済まん」
どうやら、事態は五代が想像していたより遥かに複雑なようだった。
一条さんが謝る事じゃありませんよ、と五代が笑ってみせると、一条は軽く苦笑を浮かべた。
「君はあまり首を突っ込みすぎないようにな。G3‐Xもある、我々に任せてくれればいい」
「分かってますって。でも、必要な時はいつでも呼んでください」
分かっている、と一条は軽く笑った。
現在は、五代は以前のように一条からの連絡を受けて現場に向かうという事はしていない。
以前よりも未確認生命体の活動は何故かぐっと緩やかになったし、警視庁がG3と呼ばれるパワードスーツを開発して、四号抜きでも未確認に対抗しうる火力を得た事もある。
何よりも、五代は一条に気遣われてしまったのだ。未確認相手でも拳を振るう事に人一倍傷ついていた事を見抜かれて。
平気だよ、と笑っていたのが、笑おうとして笑っていたのだという事を見抜かれて。
君に頼るのは、どうしても君の力がなければならないと判断した時だけにする、と言われた。
勝手かもしれないと謝られたが、そんな事はなかった。
五代はやりたいからやっていたのだし、もう二度と変身して戦うなと命令されたわけでもない。
必要があれば、五代はこれからだって戦うのだ。ただ、覚悟と力のある本職に、主に戦ってもらうようになるだけだ。
自分がホントに情けない、とは思った。だが一条は、五代の力が必要と判断すれば、きっと呼びに来てくれるだろう。その信頼はあった。
「あの一条さん、俺、ワームっていう奴に会って思ったんですけど、あれって金の緑だったらいけるんじゃないかなって」
首を突っ込みすぎないよう、と窘められた直後にも関わらず、何とはなしに五代が切り出す。流石に一条はやや呆れた顔をしたが、ふむ、と考え込んでやや顔を俯けた。
「……確かに、金の緑の力なら捉えられるかもしれない。だが、通用しなかった時が危険だ」
「やってみる価値はあると思いません? ま、考えといてください」
困った奴だ、と言いたげな顔で微笑み、一条は五代の屈託なく笑った顔を見た。
一条と別れた五代は、帰り道でスーパーに立ち寄り、買い物袋を手に提げ帰り道を辿っていた。
玉葱と人参と砂糖。後はおやっさんと奈々ちゃんへのお土産にどら焼き。
時刻は三時を少し過ぎた位だから、店が忙しくなるまでにはもう少し間があるだろう。
そう思ってのんびり歩いているのがいけなかったのかもしれない。
「……お前はいいよなぁ」
言われて、足を止めたのも良くなかったのかもしれない。
ゆっくりと首を動かして見れば、先日の兄と弟が、道端に座ってカップ麺を啜っていた。
「……いや、カップ麺も、美味しそうじゃないですか。俺のこれは店のカレーの材料なんで」
「店……か。いいなぁ兄貴、働いてるって輝いててさ……」
「光を求めるな! 俺達は、地獄の底で這いずり回るのがお似合いだ……!」
「いや……働けばいいんじゃ……この前だって募金活動してたじゃないですか」
五代の突っ込みを、兄のほうが鼻で笑った。
「ふん……あれはな、別に働いてたんじゃない。地獄に呼ばれたんだよ」
「……?」
五代は怪訝そうな目を兄に向けたが、もう返事は返ってこない。兄と弟はカップ麺を音を立てて無心に啜り始めた。