町内ライダー
だからといって本当にこんな面倒な事になるとは、剣崎も予想していなかったのだ。
翌日、橘の家には一通の手紙が投函されていた。睦月からだった。
『俺は橘さんの弟子をやめて、バウンティハンター・名護啓介さんに弟子入りします。今までお世話になりました』
朝一番に無言でこの手紙を見せられた剣崎は、一体どういう反応を返せばよかったのか。
このあからさまに落ち込んだ顔をした橘に、何を言えばいいというのか。
「と……とりあえず、睦月、睦月を探しましょう? ライダーの事はライダーにしか教えられないですよ、一番経験豊富な橘さんでなきゃ、睦月の師匠は務まりませんって!」
「……そうかな。こんな、どこの馬の骨だか分からん奴に乗り換えられて、弟子に見捨てられた俺でも…………」
「あいつほら、すぐ影響されやすいっていうか、そういう所あるじゃないですか! この名護って人に昨日助けてもらったんですけど、凄く強かったから、ちょっと目移りしただけですって、話せば分かりますよ!」
一際明るい声で、励まし力付けるように剣崎がやや大げさな手振りで言うと、橘は不審げな顔付きで剣崎を見たものの、軽く頷いた。
睦月は、普段はどちらかといえば優柔不断なのに、こういう時だけは思い切りが良すぎる。
変身するための条件に厳しい制限があるプロトタイプの適合者が他にいなかったため、特例として睦月がレンゲルとして戦うことは認められたが、ライダーシステムは本来トップクラスの機密事項、部外者に漏らしてはいけない。特に、本社の剣立カズマ達に支給されている制式採用型ではない、剣崎達の使用するプロトタイプは。
ライダーシステムの情報がもし部外者に漏れたなら、もう誰がどう責任を取っていいのか分からないような事態になる。
その辺りは睦月も分かってはいる筈だが、万が一という事もある。
剣崎と橘は手分けして、それぞれのバイクで街中を流した。今日は日曜日、学校は休み。
あの名護という男を探しているに違いないが、彼はバウンティハンター・名護啓介と名乗ったのみで、どこにいるかなどの一切の情報は分からない。
一緒にいた剣崎が分からないなら、睦月も分からない筈だった。
念の為広瀬栞にも連絡をとり、レンゲルの反応があればすぐ教えてくれるよう頼んだ。
名護と遭遇したのは大通り。一通り流すが、睦月の姿は見当たらない。
一度バイクを止め橘に連絡するが、同様の状況らしかった。
一度高校の方を見てこようと考え、剣崎は通りを曲がった。やや細い坂道を進んでいくと、前方に睦月が見えた。
「おい、睦月! 待て!」
ヘルメットのバイザーを上げる間も惜しんで、くぐもった声で剣崎が呼びかけると、睦月はやや驚いた顔をして振り向いた。
「剣崎さん? ……どうしたんですか?」
「どうしたんですか、じゃないよ! どういうつもりだよ!」
やや詰るような強い口調で剣崎が捲くし立てるが、睦月自身は全く身に覚えがないようで、不思議そうな顔をして剣崎を見た。
とりあえず剣崎はバイクから降り、ヘルメットを外す。
「……お前なぁ。橘さんの弟子を辞めるとかなんとか、どういうつもりなんだ」
「だって、橘さんって、ちょっと頼りないじゃないですか。その点名護さんなら、高潔な人柄みたいだし、きっともっと立派な人間になれる気がするんです」
「…………確かに、橘さんは、電話をかけたら丁度トンネルの中とか、ろくに説明もせずに殴りかかってきたりとか、そういう所はあるよ。でも、そんなの関係ない。橘さんは、俺達後輩の事、BOARDの事、全部ちゃんと考えてくれてるんだ。俺は橘さんを信じる。橘さんよりお前を鍛えるのに相応しい人間はいないって信じてる」
勿論剣崎は心からそう信じているし考えている。だからまっすぐに睦月の目を見て言い切った。
剣崎のまっすぐな視線に気圧されたのか、睦月は目を逸らして、やや俯いて口を噤んだ。
「あの名護って人も何処にいるんだか分からないんだし、帰ろう。橘さんも別に怒ってない、お前の事心配してる」
「私ならここにいるが、何か用ですか」
声に振り向くと、そこに立っていたのは確かに、昨日見た名護啓介だった。
こんな時に最悪のタイミングで現れてくれなくてもいいものだ。
「名護さん!」
睦月が顔を上げ、やや明るい声を出す。
「名護さん、俺、名護さんを探してたんです。お願いしたい事があって」
「睦月、お前!」
「君、黙っていなさい。彼は私に話があるんだ」
割り込んだ名護の言葉に、剣崎は名護をきっと見たものの、口を閉ざした。
睦月の話は名護啓介にとっては唐突な申し出の筈だ。それならば、訳が分からないと断られる可能性が高い。
「俺、昨日の名護さんを見てて、すっごく憧れたんです。名護さんみたいになりたいって。だから、俺を弟子にして鍛えてください!」
断れ、断れ、断れ。剣崎は無言のまま必死に念を送ってみるが、名護は表情を特に変えない。何を考えているのかは読めない。
「……いい心がけだ。私の教えは厳しいが、着いて来る覚悟はあるか」
「……! はい!」
名護はあまりにもあっさりと、承諾の返事を口にした。あまりといえばあまり。剣崎は暫し唖然とした。
「だからちょっと待て睦月! あんたもあんたであっさり引き受けるな!」
「私の教えを乞う者を拒む理由などない」
「こいつにはもう、ちゃんとした師匠がいるんだ、ちょっとした気の迷いなんだよ!」
「その師匠とやらがどんな人間かは知らないが、この私より優れているとは思えないな」
名護の、鼻で木を括ったようなその答えに、元々怒りの沸点が低い剣崎がカチンとこない筈はなかった。
剣崎一真にとって橘朔也とは、一流の男、誰よりも頼れる先輩、共に戦う仲間なのだ。
時々意図の読めない行動をする事もあるが、後で事情が分かってみれば、それらは全て剣崎や睦月やBOARDの為、アンデッドを倒す為の行動なのだ。
そんな橘を侮辱されているような気分になるのを、剣崎が耐えられる筈はなかった。
「……よし、分かった。それなら、あんたより橘さんが優れているって分かればそれでいいんだな」
「え……ちょ、剣崎さん、何勝手に……」
「お前は黙ってろ!」
「俺の問題ですよ!」
確かに、そもそも睦月が、名護に憧れて乗り換え、などと考えなければこんなややこしい事にはならなかった。
だがこれはもう、少なくとも剣崎にとっては、睦月一人の問題ではない。
「私は構わないが、本人がいない所で話を進めてもいいのか」
「今呼ぶ、逃げないでそこで待ってろ!」
言って剣崎は携帯電話を取り出した。一つ溜息を吐いて名護は腕を組み、思いもよらぬ展開に睦月はおろおろとしていた。