町内ライダー
「……いい病院、紹介しましょうか?」
野村静香と名乗った少女は、ペットボトルのミルクティーを一口飲むと、そう口にした。
言われるだろうと思ったが、本当に言われると疲れる。
起きた時からぐったりしているのに、士はますます疲れを深めて、半目で深く溜息を吐いた。
それは、信じろという方が無理かもしれない。三人は別の世界からやってきた、世界が融合して崩壊しようとしているのを防ごうとしている、それを士に告げたのが、目の前のこの、紅渡という青年だという事。現実味がなさすぎる話だ。
あれから公園のベンチに座り、掻い摘んで事情を説明したが、説明したところで理解を得るのはほぼ不可能であろうことは士もよく分かっていた。
「あ、あの……それって、本当に僕、だったんですか?」
紅渡は、缶コーヒーにはあまり口をつけないまま、疑問を口に出した。
士も、自分に旅の目的を告げた男がこの青年と同一人物ではないのだろうという事は、大体分かった。目の前の青年は内気そうだし、何も知らなさそうだ。キャラが違いすぎる。演技をしているというようにも見えない。
「顔も声も同じだった。でもまあ、同じ顔の人間はこの世に三人いるらしいからな、人違いかもしれん。悪かったよ」
「いえ……そんなにそっくりだったなら、仕方ないです」
「仕方ないだと!」
高い声が公園の入口から響いた。一同が一斉にそちらを見ると、身なりのいい若い男が立っていた。
甘いマスク、仕立てのいいスーツ、左手だけに黒い手袋。
「仕方ない事があるか……! よくも可愛い弟を疑ってくれたな! 王の判決を言い渡……」
「わーっ、兄さん、駄目! 言い渡しちゃ駄目っ!」
若い男からは、怒りのあまりどす黒い瘴気が立ち上っているように見えた。
本当に見えた気がするけどきっと気のせいだ、何か蛇っぽいのも一杯見えたけど気のせいだよね、うん、そうに違いない。
口に出さずとも、士、夏海、ユウスケ、三人の思いは同じだった。
渡が慌てて男へと駆け寄る。
「しかし渡……僕は許せないんだ。お前を傷つける者を……!」
「大丈夫だよ兄さん、ありがとう」
「いいんだ、渡」
兄と弟の間には、二人にしか理解できない二人の世界の空気が流れているようだった。
「……おい、あいつには、病院は紹介しなくていいのか」
「……いつもの事だから、慣れちゃったんです」
「苦労してるんだな、お前も……」
静香の顔は、マリアにも似た慈母の微笑があった。きっと色々な事があったのだろう。色々あって、もう諦めちゃったのだろう。
この歳でそんな悟りを開かざるを得ない状況って一体。
「いいか、覚えておけ! 渡を傷付ける者は、この僕が決して許さないという事を!」
ぴしり、と士を指差し、渡の兄と思しき男は、側に停めてあった黒い車のリアシートに乗り込んで去っていった。