町内ライダー
紅渡は、今、非常に困惑していた。
名護の弟子になったのは確かだが、その関係はとうの昔に解消したと渡の側では認識していたし、いきなり他の人間に弟子入りして鍛えられろというのも、意味が分からない。
つい先日、バイオリン修理の仕事が一段落したので、渡はこれから数日は、理想のニス作りに充てるつもりだったのだ。その為に昨日公園で、前々から材料として目星を付けていたタンポポの根を集めてきたのだ。
それが何で知らない人に弟子入り。しかも何故、呼び出された場所がバッティングセンター。
「まずは君の基本的な能力から知りたい」
「……何のですか?」
「今から手本を見せる」
渡は元々人と話すのがあまり得意ではない。その上に、この男――橘朔也と名乗る青年は、名護同様に少々話が通じづらい所があるらしい。会話が成立していなかった。
橘は何も持たずにボックスに立った。何をするのだろうと見ていると、ピッチングマシーンからボールが放たれた。
「九!」
橘が鋭く叫び、百五十キロの速度にセットされている筈のボールを、素手で掴み受け止めた。
そして、渡を顧みて、手の中のボールを示す。
ボールには、黒く数字の九が書き込まれていた。
……まさか、素手で掴めと言うのだろうか?
百五十キロのボールを打つには、高い動体視力を要求される。普通の人間では、まず速すぎて、怖くて腰が引けてしまう。打つのでも、出来るようになるには訓練が必要だ。
しかもここはバッティングセンター。渡は、すっかり、ボールをバットで打つものだとばかり思っていたのだが、素手で掴めと言うのだろうか?
その上飛ばしているのは硬球だ。プロ野球でも、デッドボールで当たり所が悪ければ、骨折したり選手生命を断たれるような障害を負ったりする。それを、やれと?
「百五十キロのスピードボールに書かれた数字を読み取り当てる。動体視力を鍛える基礎訓練だ。やってみろ」
「あの……ミットとか、ないんですか?」
「……そんな事を言われたのは初めてだな。悪いが用意していない」
ボックスから下がってきた橘にさらりと言われ、予測通りではあったものの、渡は切なくなり、はぁ、と息を吐いた。
幸い、渡は普通ではない。
肩を落として気怠そうにボックスに入り、前を見る。
体に半分流れるファンガイアの血、その力を使いこなせるようになった渡にとっては、これはそんなに難しい事ではない。放たれたボールを見据える。
「八……」
告げて、ボールを右手で受け止める。
右手のボールに書かれた数字を示すと、さしもの橘も、驚きを隠し切れない様子で渡を見た。
「凄いな君は……最初から当てられたのは君が初めてだ」
「それより、百五十キロのボールを素手で掴める事の方がおかしいと思うんですけど……」
「よし、まぐれでないか見たい。もう二、三球やってみせてくれるか」
ツッコミをさらりと無視された。やはり会話は成立しない。
こうなればもう、諦めるしかないのか。渡は深く溜息を吐くと、再びボックスへと入っていった。