町内ライダー
「待てコラァ!」
後ろから声が追い掛けてくるが、渡は構わず走り続けた。
追い掛けてきているのは、先程までいたバッティングセンターの隣に知らない内に出来ていた、探偵事務所の探偵だった。
あんな事務所、この間までなかったのに。走りながらどうでもいい、関係のない疑問が浮かんだ。
あの後、四、五球のボールに書かれた数字を全て当てた渡を満足そうに見て、橘はバッティングセンターを出た。
そして、次はどこに移動するのかと思って後を歩いていると、隣の探偵事務所へと入っていった。
何事かと渡も続くと、橘は応対した女性に、渡が逃げるからそれを追い掛けて捕まえてほしい、という内容の依頼をしていた。
目の前に出された諭吉を見て、更に成功報酬も出すと告げられて、女性が一も二もなく頷いて、奥の机に座っていた青年に声をかけた。
追い掛けられて渡は、半ば反射的に逃げ出してしまい、今に至る。
よく考えれば、渡には逃げる理由がない。だが、捕まるのも何か釈然としないものがある。
彼を追う探偵はタフだった。かれこれ十五分程は走り続けている気がするが、渡を追うスピードは衰える様子がない。
何とか引き離したいが、下手に地理に明るくない場所で裏路地に入って、行き止まりだったら目も当てられない。渡は真直ぐに走り続けていた。
ふと見れば、曲がり角から橘が出てきた。バイクで先回りしたのだろう。行く手を塞ぐように立ち塞がる。
一体これは何の訓練なんだろう。考えたところで渡には橘の意図は恐らく理解できない。
このまま走り続ければ、眼前の橘にぶつかる。ぎりぎりの所まで渡はスピードを落とさずに駆け抜け、斜め右に跳んだ。
「甘い!」
その動きは橘に読まれていた。半分とはいえファンガイアの血を持ち、人間を越えた身体能力を持つ渡の動きを読んで咄嗟に対応できる橘は、正直おかしい。
渡を捕まえようと橘が駆け寄ってくる、後ろには探偵も追い付いてきている。渡は、助走なしで強く地を蹴った。
「ごめんなさいっ!」
思わず、渡の口からは謝罪の言葉が漏れていた。真正面の橘に向かってジャンプし、その肩を踏みつけ台にして、橘の背後へと飛んで、着地もそこそこに渡は再度駆け出した。
「俺を踏み台にした……!?」
「なんだありゃ、おい、あんなの捕まえられっかよ!」
「……よし、合格だ。渡、もういいぞ」
探偵が橘に文句を付けて、橘は探偵には答えずに渡に声をかけた。
立ち止まって、振り返り戻ると、探偵は俯いて肩を大きく上下させ、深呼吸を繰り返していた。
「おまっ……やるじゃ……ねぇか…………この……ハード、ボイル、ド……探偵の、追跡を……振り切って……息も、切れて……ねぇのかよ……」
顔を上げないまま、切れ切れに探偵は言葉を絞り出した。仕事とはいえ気の毒になり、渡はすいませんすいませんと、何度も頭を下げた。
「くっそ……次は、捕まえ、る……!」
「……いや、僕はもうやりたくないです」
探偵は相当な負けず嫌いのようだった。だが渡には、そもそも探偵から逃げる理由がないのだ。
「君のような弟子を育て上げるとは……名護啓介とは恐ろしい男だな……」
「……すいません、僕正直、あまり名護さんに育てられた覚えは……」
「俺は、あの男に勝てないかもしれない……!」
橘は依然として人の話を聞いていなかった。
次は一体何をさせられるのだろう。この状況がこれから三日続く事を思い、渡は細く長く溜息を吐き出した。