町内ライダー
そして三日後。
所はミルクディッパーのカウンター。良太郎の眼前には二つの皿。
両方には小判型のハンバーグが乗っている。
片方は、食欲をそそる美しい飴色のソースがかかった、ふっくらとした正統派ハンバーグ。
もう片方は、灰色の自称ハンバーグ。刻んだ野菜がたっぷりと入った餡掛けの餡がかけられていて、皿の横に醤油が添えられている。
津上翔一はあれから三日間、都合の許す限りミルクディッパーで時間を過ごし、愛理と何か料理を作っていた。だから、何某かの進歩はあったのだと思っていた。思っていたのだが。やや、料理らしくはなったかもしれない。
この場に居るのは天道、矢車、愛理。津上翔一は彼の言葉通りそう暇ではないらしく、自分のレストランの仕事でどうしても抜けられないからとこの場には来なかった。
ちなみに矢車はずっといたが特に何もしていない。今日も矢車は何も手伝わず、愛理が一人で作った。
「じゃあ……こっちから」
良太郎が向かったのは、天道が作った普通のハンバーグだった。味覚が破壊されてから食べても正しい味が分からないからだ。
ナイフを入れれば溢れ出る肉汁、それがじっくりと手間暇をかけ作り上げられたソースと混ざり合い、口に運べばふっくらとした挽肉から臭みのない甘い肉の味が染み出す。
文句のつけようのない、見事なハンバーグだった。恐らく、良太郎がこれまでの人生で食べたハンバーグの中では、一番おいしい。
「おいしい、すごく、おいしいです……」
「当然だ」
さも当たり前のように天道は淡々と返事を返した。
成程、これだけの料理を作れるのならば、それだけの自信もあるのだろう。
このハンバーグならばいくらでも入りそうだったが、生憎これは料理勝負。もう片方も食べなくてはいけない。
良太郎はもう一つの皿へと目線を移した。三日前の黒々としたものではない、灰色のハンバーグ。色とりどりの刻み野菜が入った餡が掛けられていて、見た目にはかなりレベルアップしている。
こちらはナイフとフォークではなく箸が添えられていた。持ち替えて餡の上からさくりと割って、口に運ぶ。
「…………あれ?」
肩透かしを喰らったような、訝しげな顔をして、良太郎はもう一口灰色の自称ハンバーグを口に運んだ。よく噛んで飲み込んだ後に、首を捻る。
「……おいしい」
「何だと……?」
良太郎の反応が意外だったのか、天道がカウンターの向こうから身を乗り出した。自信あり気に笑みを浮かべた矢車が差し出した箸を引ったくるように受け取ると、カウンターの向こうから灰色の自称ハンバーグを割り、口に運ぶ。
「……何? こ、これは……豆腐と、蓮根、か? ひじきの臭みが全く無い……」
「三日前と同じく煮干も入っている。野上良太郎を丈夫で健康にする為の料理だからな、栄養価は落とせん。天道よ、お前は味に拘るあまり、この料理が誰の為、何の為のものであるのかを忘れ去っていたようだな」
「何だ、一体何をした」
「それを俺が貴様に教えると思うか」
余裕たっぷりに微笑んだ矢車をきっと睨みつけたがその勢いはすぐに萎み、天道は目を逸らすと一つ息を吐いた。
「……津上翔一、その名前、覚えておこう」
箸をシンクの洗い桶へと静かに沈めると、天道はそれ以上何も口をきかず、黙ってミルクディッパーを出て行った。
結局、良太郎がハンバーグを食べ比べる必要は別になかったのだが、勝負はついたという事なのだろう。
「騒がせて済まなかったな」
「いえいえ、また遊びにいらして下さいね」
矢車も店を後にしようとする。愛理が微笑むと、矢車は眩しそうに目を逸らした。
「……やめろ! 俺は地獄の底で這いずり回っているのがお似合いだ……、そんな言葉は、相応しくない!」
勝負が終わった途端、それまでぴんと張っていた背筋が曲がって、彼の周囲には気怠げな空気が漂い始めていた。これが、三日前に言われていた「やさぐれている」状態なのだろうか。
「津上さんにもよろしくー!」
愛理の言葉が背中を追いかけるが、矢車はもう振り返らずにドアを出て行った。
結局何だったのか、よく分からない人達だったが、これで良太郎の食生活も少しは豊かになるのかもしれない。期待に胸膨らませて良太郎は、まだ残っているハンバーグを食べ始めた。
自身の予測が甘かった事を、良太郎は後日たっぷりと思い知る事になる。だがこと豆腐ハンバーグに関してだけは、愛理の料理の腕前は格段に上がったのだった。